隠居たるもの、至福の時を知っている。私は大きな湯船につかるのを好む。明るいうちから一切を脱ぎ去って心身を伸ばす、湯気の向こうには誰も見当たらない、最高である。だからといって、自庵の浴室を大きくするつもりなど毛頭ない。掃除だって手間がかかろう。旅先という非日常で味わうからこそ、芯まで温まるというものだ。ゆえに旅に出る際、投宿先を決めるにあたって、「風呂場の様子」は重要な要素となる。
I 🖤 湯
一日の行程を終えて、ゆっくり疲れを流すのもさることながら、洗顔のついでとばかりに入る朝風呂もたまらない。快く汗腺を開くことで、代謝もすっきりと蘇り、意気揚々と旅の一日が始まる。深川を後にしてから、直島のアート銭湯「I 🖤 湯」(大竹伸朗作品)で締まった、一週間におよぶ旅のお風呂の遍路をここに列記してみよう。まずは10月5日土曜日、この日は若くして逝った友人を偲ぶ会に顔を出すため、単独で大阪の梅田に出向く。終電近くまで飲んで、新大阪駅近くのビジネスホテルで気絶するように眠りについた。こうなることはわかっていたから、あらかじめ簡素な宿を選択しシャワーだけ。翌6日、香川は丸亀でつれあいと落ち合い、瀬戸内国際芸術祭を目的とする本来の旅が始まる。本島を巡って、瀬戸大橋を展望する大浴場が売りのオークラホテル丸亀さんに荷をおろす。自慢の大浴場は外壁工事中で珍妙な景観に…。足場ビュー、滅多にできない経験である。
明けて7日、高見島と粟島を巡り、「こんぴら温泉 琴平花壇」さんにうかがう。この旅で唯一、一日だけの温泉旅館。こんぴら温泉に行ってみたかったので旅程からすると強引であったのだが無理して予約した。さすが古くからの旅館である。食事も含め、とても素晴らしかった。ここに足を伸ばしたことで、「ことでん」にも乗れた。
8・9・10の3泊は、すでに触れている「ドーミーイン 高松中央公園前」さんに厄介になる。天然温泉なんだそうだ。それもさることながら、中心街のホテルで大浴場を利用できるのがとにかく嬉しい。瀬戸内国際芸術祭を目当てに各国からやってきたと思しき習慣を異にするインバウンドさんたちの、その強烈な「勘違い」(例:客室のスリッパをビーサンかなんかと勘違いして、そのまま浴室に入ってきてビシャビシャにして、後で気づいてオロオロ)を目にするのも久しく、ハラハラと楽しませていただいた。そしてようやく、旅程最終日11日の夕刻に直島のアート銭湯「I 🖤 湯」にたどり着く。
「根性がついた」
一緒に暮らすようになってしばらく経った20年以上前のこと、「今までとどこが変わった?」と友人に質問されたつれあいは、「根性がついた」と答えた。旅に出ると盛りだくさんに連れ回され、悔しいから歯を食いしばっていたらそうなったというのだ。常にアップダウンに見舞われる島々を巡っての最終日、11日の私たちの脚はでろでろであった。天気にも恵まれ、すっかり汗もかいた。草間彌生のふたつのカボチャを見たり、家プロジェクトを堪能したりして、最後の最後に「I 🖤 湯」で至福の時を過ごす。気持ちもスッキリ切り替わり、さっぱりと深川に帰る準備もできてくる。
宮浦港で受けた知らせ
草間彌生のカボチャを遠くに望み、涼やかな風に吹かれながら、高松行きのフェリーを待っている。すると私のiPhone に1通のメールが届く。乗る予定だった「高松空港20時10分発羽田空港行き」は欠航になった、と。翌12日には、台風19号が東京にやってくる。航空会社は、スーパー台風の直撃を受けるその最中に、資産である航空機を渦中の羽田空港に置いておきたくないのだろう。仕方ない…、明日はどうにもならないのだから、とにかく帰らねば…。
ああ、もうすぐ隠居の身。ほら、見な、あんな雲になりてえんだよ(by 車 寅次郎)。
後日譚:高松から瀬戸大橋を渡り、岡山で東京行きのぞみの自由席車両の列に並び、1本やり過ごしたりしてうまく立ち回り、幸いなことになんとか座って、ごった返したのぞみ54号でなんとかギリギリ11日中に東京に帰って来た。そう、遠足は家に帰るまで。やれやれ、これも旅情さ。ちなみに、写真を掲載しているお風呂はすべて当然のことながら写真撮影禁止。湯浴み客が他にいないことをいいことに、こっそり撮ったものです、悪しからず。