隠居たるもの、街をめぐった往時を想う。旅に出たいところをグッと堪(こら)える日々が続く。それどころか、隅田川を越えて市街地に出向くことすら2週間前まではどことなく憚(はばか)られたのだ。庵で充足する私は「外に出て羽目を外したい」と強くは思わないが、松尾芭蕉翁が「旅に病み 夢は枯野を かけめぐる」と詠んだように、窓から遠くを眺めながら「旅情に身をまかせたいものだ」と思ったりはする。だからといってすぐに旅立つわけにはいかない昨今、予定を立ててソワソワすることすらまだ尚早だから、これまでの「旅」についてあれこれ想起したりもする。熊本で耳にしたあのひとことが蘇る。

復興が進む熊本城

「いま、街におると」熊本パルコの喫茶店で妙齢の女性が叫ぶ

私は東京、それも隅田川の東岸という限られた土地以外に暮らしたことがない。だから地縁といって差し支えないものも他所には見当たらない。22年前の1998年、地縁がひとつ加わった。つれあいの故郷、熊本である。前年の1997年に東京で私たちは知り合い、翌年の夏に初めて熊本のご両親にご挨拶にうかがった。当時の私は一般的な日取りでしか休みを取れない仕事ぶりで、当然のごとくお盆休みにしか出向けない。ようやくのこと手に入れた航空チケットは早朝便。まだ若かったし、熊本市街観光を済ましてからつれあいの実家に足を運ぶことにする。熊本城の威容に感嘆したり、上通下通(かみどおりしもどおり)をうろうろしたり。その途中に今年2月29日をもって閉館した熊本パルコの喫茶店で休憩したり。まだ午前中の早い時間で、あたりを見渡せる広い喫茶店内の客席はまばらだったこと、遠くで妙齢の女性2人が会話を楽しんでいたことを想い出す。そこに携帯電話が鳴った。誰しもが持つような時代ではまだない。電話に呼ばれた女性が、会話を制してハンドバックからそれを取り出そうとしている気配を感じる。彼女は叫ぶように電話に出た。「いま、街におると!」私はハッとして顔をそちらに向けた。

コンパクトな地方都市に生活者の息吹を感じる

「いま、青山にいてさ」お洒落でハイソなイメージがある青山で遊んでいることを誇示したいからだろう、頼んでもいないのに公衆電話からそんなどうでもいい連絡をしてくる者が30年くらい前にはいたものだ(「いま、上野にいてさ」とお節介にも電話をかけてくる者なぞ滅多にいない)。東京には「街」が多すぎる。そこに優劣をつけて、隙あらばその「街」の威信にあやかろうとする薄っぺらい者たちのさもしい見栄も鬱陶しい。地方において「街」といえば概ねひとっところしかなく、「街」の機能の全てがそこに揃う。その潔さが清々しい。「いま、街におると!」はたったひとことでそれを如実に言い表している。さらにそこには、「街」に身を置く高揚感が込められている。加えて土着のお国言葉であったこと、当たり前のことなんだけれどもこれが意表をつく。もちろん、それまでに「旅行」に出かけたことはある。しかし、それは「旅」ではなかった。常日頃を共にしている者たちと、河岸(かし)を変えて同じように遊び直していたに過ぎない。だから観光地をおざなりに回るのが関の山だったし、現地で「土着のお国言葉」を耳にすることだってあるようで滅多になかった。記憶に残っているのはどちらかというと、「あの地のあれは素晴らしかった」ではなくて「あの時のあいつは面白かった」だ。今から思えば、昨日のことのように想い出すひとこと「いま、街におると!」こそがきっかけだったのかもしれない。そこで暮らしを営んでいる方々がいらして、聴こえてくる土着のお国言葉に耳を澄ます、それを垣間見ながらそこで培われたものに感銘を受ける、もちろん土地土地で大きく異なる料理を楽しむ。曲がりなりにも私は「旅」らしきものをするようになった。

そして地方都市が好きになる

まず旅行代理店が組むツアーに参加することはない。予定を組むのも予約をするのも、すべて自分で調べて直接にする。国内を旅するにはパターンがある。少なくとも2泊3日で出かけ、できたら温泉のある山間とその地最寄りの「街」で宿泊を分け合う。トレッキングをしたりカヌーで川下りしたり、瀬戸内海を自転車で渡ったり、各地で現代アートに唸ったり、ついでに必ず地方都市の居酒屋にしけこんだり。地方だからこその楽しみだ。心に残る地方都市をあげると、青森、弘前、新潟、金沢、富山、松江、倉敷、高松、高知、大分、熊本…、海外でいえば一晩中バディ・ガイのブルースバーで酔いしれたシカゴ(地方都市って規模じゃないけど)…。とりわけても、青森ねぶた祭が終わった夏の夜に忍び込む北国の冷気、松江の穴道湖に沈むいつまでも沈まなそうな夕陽…。「旅に病み 夢は枯野を かけめぐる」のである。

地縁は勝手に結ぶもの

新型コロナウィルスが、大都市に密集することがいかに生物的に理にかなっていないかを明らかにした。止むを得ず普及したリモートが、一局に集中する必要のないことを技術的に示唆した。凝り固まることもなかろう。それに、東京のそれぞれの「街」にはもう個性らしきものも見当たらない。新しくできる商業ビルは、テナント含めてどれも似たり寄ったりでつまらない。実際に今現在の転職のトレンドが地方都市にシフトしているとも聞く。もうすぐ隠居する身ではあるが、「好きな地方都市で働け」と選択を迫られたら松江を選ぶかなぁ。あ、お義父さん、お義母さん、間違えました…、もちろん熊本を選びます。熊本城の再建が急ピッチで進む熊本を、水が綺麗で素敵な本屋さんが何軒もある熊本を選びます。(参照:「チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ」https://inkyo-soon.com/chimamanda/

上通の長崎書店、これこそ本屋。気合が入ってます。

「Go Toキャンペーン」ってのは、旅行代理店を通さない「旅」には適用されないのだろうか?どちらにしろ彼らの仲間内の大企業を通さなければ、私たちみんなが払った「税金」は動かせないようにできているようだし、旅に出られるようになってもおこぼれは回ってこないかもしれない。そうさ、こちとら勝手気ままがトレードマーク、腹立たしいけれどもいざとなったら天秤にかける。ああ、もうすぐ隠居の身。自由でいたいんだよ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です