隠居たるもの、紅葉を狩りに山登る。まだ頂に雪をかぶってはいないが、山の色づきがくっきり一日ごとに深まっていく。予定からして短い滞在とはいえ、「薪活」などすべきことをきちんと終えたからには、高いところに登っていちはやく紅葉に包まれたいと気がはやる。午後から曇るというがそれほどには悪くない天気の2022年10月15日土曜日、栂池(つがいけ)自然園に出かけることにした。南から五竜、八方、岩岳、栂池、山頂付近を観光資源としている4つの山の中で、10月23日と栂池自然園の閉園が最も早い。標高が高い上に北に位置しているからだ。バスに間に合うよう、私たちは午前10時半に散種荘を出発した。

標高1892mの栂池自然園には雲が下りていた

まず八方バスターミナルまで3km弱のウォーキング、そこから北に10kmくらい、午前11時15分に出るバスに乗って標高839mの栂池高原駅に向かう。しかしバスが遅れている。そういえばこの2日前に、タクシーの運転手さんから「全国旅行支援っていうんでしたっけ?けっこうお客さん来てるんですよ。私もね、今日は休みだったんだけど会社から『出てくれないか』って言われましてね、こうして昼だけ回してるんです。」と教えてくれたっけ。バスは長野駅からやってきて、白馬駅と八方バスターミナルを順に経由し、それから岩岳と栂池を目指す。20分ほど遅れて到着したにもかかわらず、バスはそれほど混雑していなかった。おそらく満杯のお客さんはひとつ手前の白馬駅でごっそり降りたのだろう。

バスを降りたら正午を回っていた。栂池高原駅でゴンドラに乗りこみ、20分かけて一気に標高1582mの栂ノ森駅へ、そこから少しだけ歩いて栂大門駅でロープウェイに乗り換える。あたり一面、圧巻の紅葉、標高1829mの自然園駅までは5分だ。山の上には雲が下りてきており、正面に見えるはずの白馬乗鞍岳(2437m)、小蓮華山(2766m)、左手にある白馬岳(2932m)、杓子岳(2812m)は残念ながらすっぽりと雲の中。ロープウェイの車中、普段とは違う客層(やはり「全国旅行支援」の影響なのだろう。ご高齢の方々も含め「山行きの格好」ではない普段着の人がいつもより多かった)はあからさまにガッカリしている。とはいえ、幻想的に雲がかかる中、いまだ残る緑・色が落ち始めた黄緑・黄・赤・梢の白・枯れた湿原の茶、ありがたいことにこれだけの色彩をいっときに味わえるタイミングってえのはそうそうない。

滞在時間は1時間45分

春夏秋ダイヤでは1時間に1本どころかバスは3時間に1本くらいしかない(12月から3月までのスキーシーズンになると冬ダイヤに変わり1時間に1本となる)。20分も遅れると、当然に皺寄せは及ぶ。それに加えて行楽客も多く、下りのロープウェイは混雑するに違いない。用心に越したことはない、午後2時20分にはロープウェイ自然園駅に帰りつきたい。山を下りて栂池発午後3時26分のバスに乗らなければならないのだ。12時35分に自然園駅に降り立つなり、私たちは脇目もふらず奥へ奥へ、より上へ上へと歩を進める。途中、楠川のほとりで持参した焼きたらこたっぷりのおにぎりに舌鼓をうちながらも、そのままゆっくり休むことなくズンズン先を急ぐ。あわよくば高度をさらに下げようと、雲も虎視眈々と隙をうかがっている。

どちらにしたって、この日は雲の旦那に勝てなかった。気がついたらあっという間に下りてきた。最後に控える階段様になったとんでもない段差を必死に登坂したところで、白馬岳と杓子岳の谷に広がる白馬大雪渓はまず拝めなかったに違いない。結局のところ深奥部の展望湿地まで行くのは断念、途中の銀命水で休憩し、そこから引き返すことにした。そこそこ急いだことだし、気を使いつつ「さあ、戻ってみようか」とつれあいに声をかけると、彼女はいつになく活力に溢れ、五島列島のばんばのように「およ」と即座に応じる。

この日は息が上がらず思うように足を運べたんだそうだ。HPの「栂池自然園の歩き方」によると、私たちがたどったコースの所要時間は2時間45分(ご高齢の方々も多いからずいぶんと余裕をみているとは思うが)、そこを途中でおにぎり頬張りながら1時間45分で済まそうというのだ、人間てえのも捨てたもんじゃない。還暦間近だったとしても、ひと夏かければどうやら「機能向上」の兆しが訪れる。

温泉につかって蕎麦屋で憩う、これぞ必殺フルコース

マップの③浮島湿原を見やりながら順調に下り、ロープウェイ自然園駅にずらっと並んだ列の最後尾についたのが首尾よくピッタリ午後2時20分、10分並んで下りの便が出発したのが目論見通りに午後2時30分、ゴンドラに乗り継ぎ地上に降り立ったのが午後3時過ぎ、余裕をもって3時26分発のバスに間に合った。私たちにはどうしてもこれを逃してはならない理由がある。すっかり暗くなってから出る次のバスでは間に合わない。「全国旅行支援」客が押し寄せていると耳にしたから、酒が美味しい蕎麦膳に、前日のうち午後5時半の予約を入れてあったのだ。汗をかいたら温泉につかりたい、それも人情だろう。山から下りて、八方バスターミナルの真向かいにある日帰り温泉「八方の湯」でひとっ風呂あび、暗くなり始める中をゆっくり涼みがてらしばらく歩き、開店に合わせた午後5時半に暖簾をくぐる、必殺フルコースは完遂された。

山からの便り

「栂池はもうクローズだけど、次に来るときまだ八方は開いてるでしょ。この間は息が上がっちゃったからなあ、ぜひともリベンジしたいね」ビール片手に信州アルプス牛のたたきをつまみながらつれあいは上機嫌だ。私はというとイカの一夜干しがたまらず久方ぶりに日本酒を嗜んだ。「そういえば『全国旅行支援』だって教えてくれたあのタクシーの運転手さんさ、栂池で客待ちしてたね。海外旅行客の受け入れも解禁されたし、ゼロコロナ政策の中国からはまだにしても、今度の冬はオーストラリアからいっぱい人が来る、『ようやくですよ』って喜んでたな。そう思ってみると、あちこちで貸しコテージの手直しも始まってる」そんな四方山を話し、締めに蕎麦を一枚すすってタクシーを呼んでもらう。「お願いします」と乗り込むやいなや、ハッとして「運転手さん、さっき栂池で客待ちしてたでしょ!」と3人で笑い合う。

2日前に東京に戻ってきているのだが、先ほどに白馬から便りが届いた。となると次回にすするのは新蕎麦になるだろう。便りにはこうあった。ああ、もうすぐ隠居の身。「昨日、白馬三山が雪を被りました。」

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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