隠居たるもの、残暑に際しお見舞いを申し上げる。2022年8月17日、すでにお盆休みを終えて仕事を再開している方々も多かろうし、そのまた一方には、今日が休みの最終日でなんとはなし切ないような心持ちを抱えておられる方々もいらっしゃることだろう。聞くところによると昨日16日の東京の最高気温は36℃とのこと、「残暑」と形容するのがはばかられる過酷な陽気である。それでは同じ日のここ白馬の最高気温はいかばかりかというと、雨がちだったこともあり25℃だった。そのまま降り続いている今日にいたっては22.6℃と予報されている。とうとう半ズボンを長ズボンにはきかえた。

「安曇野の車窓から」

小学生の夏休み中「登校日」のような短期帰京を済ませ、8月13日にあらためて白馬入りした。お盆休みに際して運行された午前11時17分新宿発 臨時特急あずさ85号に乗車し、東京に近づきつつある台風8号からうまいこと遠ざかり、午後2時09分 終点の松本で降りる。急げば白馬にそのまま到達できる午後2時14分発南小谷行き大糸線普通列車に間に合うところを、松本駅の商業施設MIDORIに寄り道、のんびり偵察して時間をつぶし、午後3時24分発 信濃大町行きの大糸線普通列車に乗り換え、その信濃大町が始発駅となる南小谷行きに乗り継ぐ。白馬駅に到着したのは午後5時16分だった。

登山カップルのギクッとする鎮痛な面持ち

松本を出発し北アルプスに向かう大糸線普通列車、車窓に映るのは安曇野の清涼な田園風景、私たち夫婦の真向かいにひとまわり下くらいの年恰好だったろうか、そろって「鎮痛な面持ち」をしたカップルが、それぞれに大きなリュックサックを脚の間に挟んで座っていた。これまたそれぞれにはき古したハイカットの登山靴、しかしリュックサックのてっぺんには真新しい登山用ヘルメット、そのコントラストに本気度が窺い知れる。穂高駅あたりで降りて、お盆休みにどこぞの山を登るんだろう。だとしたら、楽しみにしていた夏の山行きだろうに、どうしてああも「鎮痛な面持ち」なのか。読んでいる本から顔を上げ、盗み見るたび気にかかる。男性にいたってはギョロッと苦みばしった「仏頂面」の隠し味まで効いている。マスクの向こうの口元はきっとへの字にギュッと結ばれているに違いない。出かける直前にうっかり痴話喧嘩なんぞ始めちゃったのだろうか。それにしては女性の「鎮痛な面持ち」に険がない…。そんなこんなを勘ぐっているうちに普通列車はスピードを落として穂高駅への停車態勢に入る。やはり「鎮痛な面持ち」カップルは下車準備を始める。

そろりと立ち上がり、大きなリュックサックを時間をかけて背負い、そして静かに電車を降りる。その時、私の隣で同様に彼らの様子を案じていたつれあいが小さく「あっ!」と声を上げる。「男の人、あれはギクってるよ。ぎっくり腰の人特有の立ち上がり方だった。『頼みの綱』の手すりにすがりながらね。」これが年の功ってえやつだ。夫婦そろってぎっくり腰を経験しているから私たちにはわかる。悲しいかな、お盆休み直前にギックリがきちゃったんだな。宿泊も予約してあるし、直前ではキャンセル料金もがっぽり取られてしまうし、いくらかは良くなったし、そうとなったら家で座りっぱなしというのもかえって辛いし、ずっと楽しみにしていたのを諦めるのも忍びないし、そうやって意を決したんだな。彼らの「鎮痛な面持ち」の謎が解けた。あれから4日、あのカップルはなんとかお盆休みを楽しむことができ、無事に日常生活に戻ったろうか…。

「出る単」のページをくる少年少女

今も受験生というものは「出る単(試験に出る英単語)」を使って英単語を暗記するのだろうか。信州随一のビックシティ松本を始発駅とする大糸線、乗客の大半は通勤や通学に利用する方々だ。ボロボロになった「出る単」のような参考書を開き、半透明の緑のシートをページに載せて、安曇野の清涼な田園風景を背景に、余念なく何やらを暗記している少年がいる。その一方で小声で恥ずかしそうに話をしている男女の高校生たちもいる。この「日常感」こそが好ましいとつれあいは言う。私たちのこの移動は、「日常」から「非日常」への旅行者の移動ではなく、「日常」から地続きの「日常」への生活者の移動だからなのだそうだ。

散種荘が完成してそろそろ2年。新型コロナ禍「県をまたぐ移動」がはばかられた当初、商売上がったりのJR東日本はあの手この手で大幅に運賃を割引いたものだが、「日常」が取り戻されるにしたがって当然のことながら割引幅はどんどん小さくなる。だから私たちも「日常」的な移動方法について考え直す必要に迫られる。これからは新宿ー松本間を中央線特急あずさ、松本ー白馬間は大糸線普通列車、これがスタンダードになるだろう。廉価な運賃と融通が利く出発時間や到着時間を優先してのことだ(新宿ー白馬間を直通する特急あずさは上り下りとも1日に1本しかない)。4時間半ほどと確かに時間はかかるものの、幸いなこと今となっては慌ただしく暮らす必要もないし、道中に本を読むことも苦にならない。かえってこれくらいの時間をかけた方が、それぞれの地の「日常」特性をさっぱりリセットでき、何事もなかったようにそれぞれの地の「日常」を始められる。

残暑お見舞い申し上げます

「3年ぶり行動抑制のないお盆休み」とはこの夏よく耳にしたフレーズだ。散種荘の周囲の貸しコテージで、普段そんなには目にしない東京ナンバープレートの高級車をたくさん見かけた。ウォーキング途中、いつもは閑散としたキャンプ場にいくつものテントが張られているのに驚いた。混雑が予想されるときは無闇に山を下りないから、その実態を身をもって体験することはなかったものの、地元の方々が寄りつきたがらないほどにスーパーは混んでいた。まあそれも今日が最後、子供たちの歓声はもう聞こえてこないし、来訪者はみんな山を下りていく。そういえば、うちの庭の勢力分布に小さな異変が起きつつある。キリギリスのパラダイスであることに変わりはないのだが、コオロギやカメムシの幼虫たちが幅を利かせ始めているのだ。ああ、もうすぐ隠居の身。白馬は少しずつ秋の気配なのである。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です