隠居たるもの、この日ばかりはうなぎを食す。そもそもからしてうなぎは高価なもので、好物といえども年がら年中頻繁に口にしていたわけではなかったのだが、公に絶滅が危惧され価格が高騰してからというもの、私たち夫婦は食す頻度をよりいっそう少なくしつつ、あげくの果て3年前にキッパリ「年に一度の特別な食事」と腹をくくることにした。つまりは年に一度、つれあいの「バースデースペシャルランチとしてのうなぎ」、そうしゃれこむことに決めたのである。彼女の誕生日はココ・シャネルと同じく8月19日、私たちが「ひと夏ほとんどを散種荘で過ごそう」という実験を繰り広げている真っ最中、そして、おなじみのあの姉さんがたが、そこを目がけて白馬に来襲するという。

ひと夏の経験

「みんなして決まりきったお盆休みにいっせいに休む」かつてはそういうものだった。そこからすると、みなさん夏休みを分散してとるようにはなった。山という観光資源を持つ土地に暮らしてその様子を眺めてみると、2022年は8月6日土曜日から8月21日日曜日、この2週間がコアな期間だったことがよくわかる。その最終盤8月17日、もう3度目ともなれば駅まで迎えに行ったりもしない、つれあいの古くからの友だちふたりがタクシーに乗って散種荘にやってきた。あいにくの雨だが、ウッドデッキの一画が屋根つきのテラスになっているから大丈夫、さっそく炭火焼きの昼食でもてなした。特大ピーマンから白馬ポーク、厚切りベーコン、スルメイカ、とりたてて目新しいことをしているわけではないのだけど、初めて経験する客人はいちいち感動してくれる。そしてシメに焼きおにぎり、実はここにお初の趣向を用意していたのだ。

つれあいが先日、行きつけのスーパー A-COOPで珍しくも地産のエゴマの葉を見つけそれを醤油漬けにしていた。それも日がたち、少ししみすぎたかからくなりつつあった。そんなエゴマの葉がちょうど4枚残っていたのである。つれあいにひらめきが訪れる。それを焼きおにぎりにのせる、いくぶん水気がとんだところで海苔に巻いてパクつく。どうだろう、想像に及ぶだろうか。これがとんでもなく美味しかったのである。真っ昼間からコロナビールをひとり既に3本も飲み、こうして4人の夏休みはスタートする。

どうにもとまらない

雨がやまないからそのまま散種荘で過ごす。客人とつれあいは代わり番こにうたた寝をし、適当な順番でそれぞれゆっくり風呂につかる。そうこうすると暗くなってまた宴会が始まる。明るいうちにビールは飲んでいたから、晩餐用にと彼女らが送ってくれていたシャンパンから始める。続いて白ワインもすっかり空くかというころだ。DJ役を一手に引き受け、BGMの選定を任されていた私がここで痛恨のミスを犯す。どうしてそんな会話になったのか今となっては思い出せないが、「『ウィスキーはお好きでしょお〜』って歌あるでしょ?あれを歌っているの誰?え!石川さゆりなの!?」という会話があり、話題に上ったその曲も含まれているからと、私がリストアップ編集しiTunesに保存している「歌謡曲セット」(過去の省察「歌謡曲だったら唄える」でも紹介している)をうっかり回してしまったのである。

「歌謡曲だったら唄える」:https://inkyo-soon.com/kayokyoku/

誰一人として同い年がおらず順番に年齢が並ぶ4人ではあるが、同年代であることに間違いはなく、リーダー格の姉さんが「私が生まれて初めて買ってもらったレコードこれ!」と山本リンダ「どうにもとまらない」に合わせて踊り出すなど、あっという間に沸点に到達、その勢いで赤ワインの栓も開き、そしてあっという間になくなり、ウィスキーにまで手を出す、まさしく「どうにもとまらない」熱狂の夜と化してしまった。ああ、こうなることはわかりきっていたのに…。もちろん翌朝は重い頭を抱えて目を覚ます羽目になるのだが、心持ちは滅多にないほどスッキリしているからおかしなものだ。

スローなブギにしてくれ

「ありがとうございます。6歳です。」ついこの間も風呂上がりにビールを飲んでいたSANFERMOでピザが供されるのを待っていた。テラス席で隣のテーブルになった家族づれ、この日8月18日は二人の子供のうち妹の方の誕生日だったようだ。店のスタッフが「ハッピーバースデー」と歌いながら、名前がチョコレートで書かれたデザートプレートをサプライズで持ってくる。袖振り合うも多生の縁、私たちも加わって彼女の誕生日を祝い「いくつになったの?」と訊いてみる。彼女は恥ずかしがることもなく私たちに顔を向けて答える。しっかりと落ち着いた6歳児だった。「このおばさんもね、誕生日なんだ、明日なんだけどね。」

つれあいがトイレに行ったすきに客人ふたりが「あれと同じようにやってくれまいか」と店のスタッフに声をかける。二人きりの食事だったらどうにも照れ臭くて、そんなこと私にはつゆほども頭に浮かばない。食事を終え、お気持ち程度にデザートを注文する。プレートをおしいただいて男性スタッフが総出で現れる。入れ替わって新たに隣のテーブルについた家族づれは、従業員のペットである看板犬のゴールデンレトリバー マロンに夢中で席を外していたものの、ひんやりした夜につれあいは「ハッピーバースデー」に取り囲まれる。まんざらでもなさそうだった。

また逢う日まで

ようやくきれいに晴れた8月19日、植物リースを製作する友だちの採集にお供し裏の平川に足を運ぶ。このところ雨がたくさん降ったから目に見えて水量が多い。山から吹いてくる風が冷たく、秋の気配を感じる。この4人で過ごした2泊3日の夏休みもそろそろ終わり。冒頭にも記した通り、我が家では8月19日の昼食はうなぎと相場が決まっている。八方口ゴンドラ乗り場近くの「こいや」という川魚料理屋を、馴染みのパン屋koubo-nikkiさんが紹介してくれていた。きれいな川がそこかしこに流れているのである、考えてみれば川魚料理屋がない方がおかしい。客人にもおつきあいいただき訪れてみる。店に入ると普段から世話になっている別荘地管理事務所の面々が座っていらした。注文を受けてから初めて水槽のうなぎを捌くという。名店なのだろう。正直なところ「まあ田舎だし」などと思っていたのだが、どうしてどうして、とても美味しく「今年のうなぎ」を味わった。

https://retty.me/area/PRE20/ARE273/SUB27302/100000183196/

食事を終え、駅近くで別れた客人たちはあずさ46号の乗客となる。私たちは買物をしてウォーキングがてら歩いて散種荘に帰る。途中、散歩中のマロンに出会い「昨日はありがとうございました」「また寄るよ」などと言葉を交わす。白馬で働いている人はだいたい白馬に住んでいるからよくすれ違う。こうしてつれあいは還暦にリーチをかけた。気がつけば「もうすぐ隠居の身」、これが第400段なのであった。ああ、もうすぐ隠居の身。二人きりになったその晩、私たちはゆっくりとスローなブギを聴いた。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

つれあいが還暦にリーチをかける、気がつきゃそんな拍子に第400段件のコメント

  1. 「昭和歌謡」いい響きだ。
    登場した曲全て歌えてしまうのも、「昭和歌謡」の凄いところです。
    なんか歌いたくなってきました

    髙橋秀年

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