隠居たるもの、我が意を得たりと膝を打つ。このあいだの日曜日の晩、近所の銭湯 竹の湯でひとっ風呂浴びて、録画しておいたWOWOWのノンフィクションWを、もちろん一杯やりながら我が庵で観た。「TOKYO ROCK BEGININNGS−日本語ロックが始まる『はっぴいえんど』前夜−」、1960年代後半の様子を当事者の証言を骨格に構築し直す興味深いドキュメンタリーだった。
レジェンドドラマーが「生活をサボらない生き方」と語る。
慶応の風林火山という集団が求心点となって、やがてそこに立教の音楽サークルが加わって周辺を巻き込みながら渦となって、その結果、GSとは一線を画す日本のロックの黎明が切り開かれたことを番組は明らかにする。見逃したけれど興味があるという方は、なんとか手を尽くして番組をご覧になって欲しい(https://www.wowow.co.jp/detail/115148)。その方が早い。細野晴臣、松本隆、高橋幸宏、錚々たるたくさんの方々が出演し証言をしていて、その中に元ティン・パン・アレーのレジェンドドラマー 林立夫さんが含まれていた。井上陽水のアルバム「氷の世界」や荒井由実の「ひこうき雲」にも参加していたレジェンドだ。番組のナビゲーター佐野史郎が一時代を築いたこの方々に「これからの豊富は?」と聞く。林立夫さんはこう答えた。「“生活をサボらない生き方”というかな。」ほろ酔いの私とつれあいは同時に声をあげた。「そういうことなんだよ!」「そういうことなのよ!」と。
それでは「生活をサボらない生き方」とは?
そういう慣用句のようなものがあるのかと思い、インターネットで調べてみた。はしかよこさんという方のSNS記事「生活をサボるな。とインド人に叱られて二年経ってから分かったこと」https://note.com/kayoko_coco/n/n909fd2072799 しか上がってこない。だけれどもこれで十分。はしさんは「君は仕事はしているかもしれない。でも、『生活』をしてないね。」とインドのゲストハウスのおじさんに叱られたのだそうだ。「ご飯を作る、服を洗う、住まいを綺麗に保つ。すべて君が君の責任においてやることだよ。一つ一つマインドフルであること。それが大事なことなんだ。」私たちが膝を打ったのも、ニュアンスを感じ取ってそういうことだろうと思ったからだ。林立夫さんも、「仕事に追われて、“生きる”上で基本的だけど大事なことをおろそかにしたくない」というようなことをおっしゃっていた。アニキ、まったくもって。
炊きたてのご飯に勝るものはない
我が庵で、土鍋で炊いた炊きたてのご飯にありつける時ほどありがたいものはない。それだけで美味しいからおかずは選ばないが、旬のものならなお嬉しい。そんなにたくさんもいらない。外で食べるランチは量が多すぎてゲンナリすることが多くなった。日清焼きそばは美味しいけれども、のべつ幕なしに考えもなくコンビニ食やチェーン店でケミカルを口にしたくない。清潔で気分が華やぐコンフォータブルな服を長く着ていたい。「勝負服」で無理矢理に気分を高揚させる必要はもうないし、流行りすたりに振り回されたくもない。片付いてこざっぱりした住環境に身を置くことは精神衛生上とてもいい。相応の時間までに就寝し、その日が無駄にならない時間には起きたい。そして、ときおりはゆったりと自然に浸かりたい。
“生活”とその判断をアウトソースしておざなりに他人任せにするのではなく、“生活”を引き寄せてきちんと自分のものにしたいのだ。ささやかで快いことを積み重ねることの方が大切だ、今となってそう思うにいたったのだ。適度であることが肝要だし、“スローライフ”を気取りたいわけではサラサラない。
だから“もうすぐ隠居の身”なのさ
とにかく仕事に打ち込まなければならない時期もそれはあるだろう。だけれども、ふと我に返った時に、それが悲しい気持ちにならないものだといいのだが…。何はともあれ、私は切り抜けた。以前、この徒然なる省察の「遥かなる山の呼び声」https://inkyo-soon.com/mountain/ という段で、「『山の家プロジェクト』という妄想が膨らむばかり」と記した。実は妄想が形になりつつあり、新年早々に長野県に建築申請をする運びになるだろう。それも含めて、何をどう考えているか、それをひと言で体現する言葉に思いがけず鉢合わせて驚きワクワクした。
ああ、もうすぐ隠居の身。そう、生活をサボらない生き方をしたいのさ。