隠居たるもの、「スーパーマーケットで迷子になっちまった」もちろん、そんなわけはない。しかし、そんな心持ちにもなろうというものだ。2021年9月26日日曜日午前11時、いつものスーパーマーケットにつれあいと出向く。ざっくりした役割分担からすると私はタンパク質担当、店頭で「はてさて3日分をいかように配分するか」頭を巡らせながら両手をアルコール消毒する。顔をあげて一歩を踏み出す。自動ドアが左右に開く。そしてあまりのことに度肝を抜かれた。すぐそこに、めかじきの頭がドーンと鎮座ましましている。自分がどこになにしにきたのか一瞬わからなくなる。「I’m all lost in the supermarket,•••」1979年に発表されたザ・クラッシュの代表作「LONDON CALLING」に収録されている「LOST IN THE SUPERMARKET」を口ずさみながら、私はなんとか「我」を取り戻す。

「おうちDEレストラン」

めかじきを多めに仕入れたようなのであった。「昨日あたりからめっきり涼しくなったし、このめかじきでねぎま鍋なんてどうだい?」というスーパーからの提案なのであった。めかじきの頭の周りには、鍋に必要な野菜と山形の日本酒 出羽桜がディスプレイされている。「なにをいってやがるんだか。いいか?『ねぎま』ってぇのは『ねぎ』と『まぐろ』だからそれを縮めてそういうんだ。だけど食いたいからといってやっぱり『まぐろ』は高くてそう簡単に手に入らないからとりあえずは鶏肉で代用して、これで『まぐろ』を食った気になろうじゃあねぇかといういじましさの果てが焼き鳥の『ねぎま』ってぇわけだ。『ねぎ』と『めかじき』だったら、そいつは『ねぎめ鍋』じゃあねえか」などとぶつぶつぼやきながら、実のところ気になる。出羽桜というのもうまいところをついている。とりあえず魚介類売場に足を運び「本日の目玉」宮城沖のめかじきを確かめてみる。なるほど…。「これはどうしたもんかなぁ」といった軽い笑みを浮かべつつ、つれあいの意向を打診する。表情は変わらず、左右に静かに首が振られる。スーパーマーケットがプレゼンするところの「おうちDEレストラン」計画は、あっけなく門前払いであった。

スーパーマーケットの「ジャンジャンバリバリ化」

当時の勤め先から在宅勤務を命じられたのは昨年3月末のことであるが、私たち夫婦がそのころ使っていたスーパーマーケットは今とは違うところだった。(第一回目の)緊急事態宣言発出が秒読みとなる中、パニックはスーパーマーケットにわかりやすく染み込む。その店はお気に入りだったのだが、直前になされた改装以来、会社の方針なのか新店長の方針なのか、店の雰囲気が変わっていた。店長や主要店員が、マイクを持って「本日の目玉」をアナウンスするようになった。なんだかやかましくて買い物に集中できない。ただでさえ殺気だっている店内がさらに煽り立てられるようだ。パチンコ屋のような雰囲気が我慢ならず、私たちはスーパーマーケットを変えることにした。今の店は魚が新鮮だし気に入っているのだけれども、(特に日曜日は買い物にお供してきた旦那を狙い撃ちしているのか)「これ、どうです?」という「イケイケ」具合を(やられそうになるんだけども)わずらわしく感じるときがある。つれあいが首を縦に振ることもまずない。あちらも商売だから仕方ないとは思うし、頑張っているに違いないのだが、その努力に見合う売上がそこからあがっているのかは疑わしい。スーパーマーケットは娯楽場ではあるまい。

「私たちの望むものは」

生活の一部を白馬に置くようになって如実にわかったことがある。食材の美味しさはまずもって「鮮度」にかかっている、ということだ。私たちが最も愛する白馬のスーパーマーケットは野菜も肉もなにしろ産地にほど近い(というか「産地そのものに店がある」といった方が正確)。そして、近隣に店を出す腕のいいプロが鮮度の高い食材を料理するとやはり真似できないほどに美味しい。すでに数軒が行きつけとなっている。当たり前のこと「レストラン」の味は「レストラン」でしか作れない。すでに初老にさしかかったつれあいは、一昨日にようやく新型コロナワクチン2回目の接種を受けた。その副反応がつらくて昨日は一日床に伏していた。熱もいっときは39℃を超えた。私たちは夕食に森下の名店「ハンバーグの店 モンブラン」から出前をとった。そう、この店は出前をしてくれるのだ。こんなときだからこそ「レストラン」のありがたみを噛み締める。注文したのは、和風とメキシカンそれぞれのハンバーグ、コンビネーションサラダ、そして(こっそり私の晩酌のための)イカゲソ唐揚げ、以上だった。

一夜明け「脱皮」も完了したようで、つれあいはさっぱりした顔になった。そうならそうと冷蔵庫はほぼ空っぽなのだから買い物に行かねばならない。いつもは避ける日曜日だとしても生きていくためには仕方ない。そこでめかじきの頭に鉢合わせしたわけだ。いろいろなご意見がおありなのは承知するが、私は買い物に静かに集中したい。もちろん日々に重ねてはいるのだろうけれども、スーパーマーケットには、日常的にテーブルに並ぶ食材を最高の状態(SDGs含め)でそろえること、奇をてらわず主にそこにこそ努力を注いでほしい。そして「レストラン」で「レストラン」の味を堪能しながら、友人と酒を酌み交わす日が1日でも早く戻ってくることを願う。当たり前のことを当たり前にやってほしいだけだ。「娯楽」と化した自民党総裁選に飽き飽きしながらそう思う。ああ、もうすぐ隠居の身。それが「私たちの望むもの」だ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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