隠居たるもの、膨らむ妄想を持て余す。2023年10月28日土曜日午後1時45分、羽田空港を出発すること20分遅れた飛行機は、律儀にピッタリ20分遅れて熊本空港に舞い降りた。常と変わらず、つれあいの実家にご機嫌うかがいに訪れたわけだが、一点だけいつもと異なることがある。今この瞬間、私は単独行なのだ。出身学校同期の「還暦同窓会」に顔を出しているつれあいは、それを終え夜の便でやってくる。実家で私を待つお義母さんは、午後4時半には出身高校の「創立120周年同窓会」に出かけてしまう。つまり、もう少しで92歳になるお義父さんのお相手をしながら留守番をする、これが此度の私のミッションなのである。一人だと実家までの道筋だってどうにも心もとない。そうこうするうち「熟女 野菊」の看板に行きあたりホッとする。遠回りしたのはほんの少しだけのようだ。
「熟女 野菊」
それにしても「熟女 野菊」、この住宅地でいつから商売をしているのだろうか。「熟女」の看板に度肝を抜かれたのはここ数年来のことだし、柱についている看板には「和風スナック 野菊」とあるから、店自体はずいぶん前からあって、新型コロナ禍で心機一転、トレンドを意識しながら思い切って「熟女」を売りに看板を付け替えたのかもしれない。店頭に張り紙された求人を見ると「30代から50代」を募っている。それが、高齢化した主力の「世代交代」を図ってのことなのか、それとも「酸いも甘いも噛み分けた」即戦力の誘致を目論んでのことなのか、地方都市のかたすみに位置する熟女バーをめぐる妄想は広がるばかりだ。
チラッと覗いてきてよ
友だちや先輩たちとそれぞれに作るLINEグループに「熟女 野菊」の写真を送ると、「渋い」とか「チラッと覗いてきてよ」とか「入ってみて」とか「ママが、関敬六みたいな？」とか相応に盛り上がる。どんな店か興味津々であるがゆえレポートを欲しているのだろう。私としても旅情を誘う非日常な地方都市で「熟女」の接待を楽しみたいと思わないこともないが、いかんせん、なにもつれあいの実家の近所でわざわざ家庭不和の火種を不用意に作るわけにもいかない。しかし、29日の日曜日、日が暮れ始めた午後5時過ぎ、つれあいと連れ立って商店街をはさんだ向こうの銭湯に向かくべく野菊の前を通りかかると、まだ「笑点」も始まっていない時間だというのに、カラオケでデュエットに興じる声がドアの外にまで漏れ聞こえてくる。「ほれ、妄想を広げてみたらよかったい」と、野菊は挑発してくるのだ。
Chat GPTの出番
店内ではどんなやり取りが交わされているだろうか。「そうだ、Chat GPTに妄想させてみたら」と面白がって思いつく。「熊本市のかたすみ、熟女バー「野菊」で交わされるママとお客さんの対話」とお題を出してみる。Chat GPTの妄想をここに引用する。
「以下は架空のシーンとして、熊本市のかたすみにある架空の熟女バー「野菊」でのママとお客さんの対話の例です。この脚本はフィクションであり、実在の場所や人物とは無関係です。
（お客さんに微笑みながら） ママ: いらっしゃいませ、お席はどちらになさいますか？
お客さん: こんばんは、カウンターでお願いします。
ママ: もちろん、こちらへどうぞ。お飲み物は何になさいますか？
お客さん: ウイスキーのシングルモルトをお願いします。
ママ: シングルモルト、了解しました。ちょっとお待ちくださいね。
（ママがシングルモルトを注文し、お客さんに提供）
お客さん: ここは初めてなんです。おすすめの料理はありますか？
ママ: おすすめですか？こちらではおつまみも美味しいんですよ。特におすすめは揚げたてのエビチリです。辛さを調整できますよ。
お客さん: それを一つお願いします。
ママ: わかりました、エビチリ一つですね。お楽しみに。
（ママが料理を注文し、お客さんに提供）
お客さん: ここ、雰囲気がとても居心地がいいですね。
ママ: ありがとうございます。野菊は長年愛されてきた場所なんです。お客様がくつろげるよう努力しています。
お客さん: そうなんですか？地元のバーっていいところですね。
ママ: そう言っていただけると嬉しいです。またいつでもお越しください。
お客さん: きっとまた来ます。ありがとうございました。
ママ: どういたしまして。お気をつけてお帰りくださいね。またのお越しをお待ちしております。」
Chat GPTはまだまだ「ねんね」だ、わかってない。シングルモルトにエビチリって、そんなはずなかろう。焼酎にからし蓮根ならまだしも…。
「きさま、わしの縄張りに足ば踏み入れるな」
今年の4月、それも夕方のことだったろうか。やはり私が野菊の前を通りかかると、前方からドナルド・トランプの支持者かと見紛う、アメリカの星条旗を配色した派手なセーターを着用した上にテンガロンハットをかぶった、おそらく「渾身の若作り」をした80歳凸凹と思しき高齢者がサングラスをかけてやってくる。その男性が怖い顔して私をずっと睨みつけるのだ。トランプを揶揄したものを身につけているわけでなし、お使いをおおせつかってスーパーに出向いているだけの私には何故に睨まれるのか皆目見当がつかない。彼は立ち止まったまま、通り過ぎる私をずっと威嚇し続けた。気がついてみると、おじいちゃんが立ち止まっていたのは野菊のドアの真正面だった。自分で言うのも恥ずかしくはあるが、「こなれた東京モン」に見える私は、おしゃれな先輩から「熟女バー野菊の覇権に挑む若造」と目されたに違いない。「きさま、わしの縄張りに足ば踏み入れるな」と老人がドスを効かせて通せんぼする、ドアの向こうは何かが渦巻く抜き差しならないパラダイスなのだ。だからこそ妄想は広がるのである。私を見送ったおじいちゃんは、当然のこと店のドアをおもむろに開けた。
熊本→東京→白馬
訪ねてきてくださった親族もおられて、2日かけてたっぷりおしゃべりし、私たち夫婦は30日に義父母のもとを辞した。帰りがけ街中に足を向け、いつものようにシャワー通りのセレクトショップや上通りの長崎書店を冷やかし、下通りで黒亭のラーメンを食す。あの頃はバンド内にヒエラルキーなどなかったのか「横一線に順不同でただ並んでいるだけ」といった風情が多かったブライアン・ジョーンズ時代の5人のローリング・ストーンズ風にくまモンと並んで写真を撮り（3人となった今の彼らは、「ボスはミック・ジャガー」と判然とする構図でしか写真を撮りませんな）、通町筋から空港バスに乗った。洗濯なぞして31日の1日だけを東京で過ごし、11月に入ってすぐに紅葉シーズン真っ只中の白馬に移動。慌ただしいこの一週間弱に疲れたか、今朝は珍しく朝寝などした。ああ、もうすぐ隠居の身。野菊で何を歌うか夢うつつに考えながら。
