隠居たるもの、野郎ばかりで夜が更ける。つれあいは雑事をもろもろかたづけるため、白馬を留守にしいったん東京に戻っている。2022年8月23日午前11時すぎ「おお。教えられたところに着いたぞ。どこだ?」古くからの友だちからの電話が鳴った。歴史の浅い散種荘はカーナビゲーションに表示されないから、自動車でやって来るという彼には「すぐ近くの貸しコテージを目指せ」と伝えておいたのだ。「ちょっと待っとけ、今すぐ外に出るから」と応じて電話を切る。あたりを見回していた彼が私に気づく。合図して散種荘の駐車場に彼の車を誘導する。軽く手を上げただけで、挨拶らしい挨拶もない。私たちは中高一貫私立男子校の同級生、ともに中学生となったのは45年前の春に遡る。
四半世紀ぶりの「メンズワールド」
25年くらい前、30代前半のことになろうか。「メンズワールド」と称して同級生10人ほどが集まり、近場の温泉地などへ一泊旅行に出たことが2度あった。それまで顔を合わせて遊ぶとなるとそれぞれのパートナーや小さな子どもも一緒くたになってワイワイとやっていたのだけれど、奥さんたちだけが集まって「うちの宿六ときたらさあ」とぶちまけあう会が密かに催されたことが発覚し、それに対する腹いせから持ち上がった大人げない企画だった。ならば対抗して「うちのかかあはよお」となるかというと、そこが男子校出身者の悲しい性(さが)、いい歳して中学の修学旅行をやり直しているかのように、嬉々としてただ無邪気に遊ぶだけなのであった。
以後、仕事における責任らしきものが誰もが重くなる、いるうちでは子どもたちが大きくなる。すると宿泊を伴う「メンズワールド」を催す余裕もなくなる。自分たちだけで示し合わせて酒を飲むことは変わりなく続けたが、そこにそれぞれのパートナーを含めることもいつしか少なくなった。だからこれは、四半世紀ぶり3回目開催となる「メンズワールド」なのであった。(自動車でやって来た友だちをここではMとしておく)私たちはMの運転で、新幹線と高速バスを乗り継いで昼に白馬バスターミナルに到着するもう1人の同級生(彼のこともここではKとしておく)を迎えに行った。
「こんなせっかくのシュチュエーションでよ、ケチな居酒屋ってのは寂しいじゃあねえか」
Kをピックアップしそのまま昼食をとっていた店で、鴨汁つけそばを啜りながらMがそう言った。「つれあいもいないことだし夕食はどうしたものか」と相談したところ即座にそう断じたのだ。私が通う白馬の店々が居酒屋を含めて決して「ケチ」でないのは明白だが、相変わらずのキッパリしたMの物言いに「しょうがねえなぁ」とつい笑ってしまう。「立派な炭焼き台もあるじゃねえか。すべて俺に任せろ」といきりたつ彼の顔を立てて、庭で野郎3人、炭火焼きをすることになった。買物を済ませ、Mが食材の下拵えをしている間、Kはオンラインで軽く仕事をこなす。双方ともに一段落ついたというから川で少し遊び、そして温泉に出向く。帰って5時を回ったあたりから炭焼き台、焚き火台、双方の火を起こす。ここまで煙れば蚊も退散するだろう。
「もっと他になにかないのかよ!そんなんじゃあ作ってる方は悲しいわけよ」
「この白馬ポークは(土産に持ってきた北海道の)根昆布だしにつけて塩をふって、仕上げにほら七味をかける。だからタレにつけないでまずはそのまま食べてくれ」とMは口うるさい。「どうだ?」と問うから、Kが「うん、うまい」とシンプルに答えると、彼は地団駄を踏まんばかりに「最低の食レポだ!もっと他になにかないのかよ!そんなんじゃあ作ってる方は悲しいわけよ」とまったく45年前と変わらずに暑苦しい。Kが「うるせえなぁ…」と失笑する横で「豚と昆布の旨味が見事に滲み出るのだが、七味の辛味がそのしつこさを相殺し口の中に爽やかさが広がるな」と私が評すると「それだよ!それ!作ってる方はそういう評価が欲しいのよ」と嬉しそうに破顔一笑する。それを見たKが真顔で「確かにこの昆布だしは…」などとおちょくった一言をつけ加えると、Mは「ふっざけんなよ!」と相好を崩す。怒っているんだか笑っているんだかわからない様子が相変わらずおかしくて、私たちも結局はゲラゲラ笑う。お互い老けたけど、役回りが中学生の時から変わらない。隣人にはさぞや迷惑だったろう。部屋に戻っても飲み続けたから、次の日は当然のこと少し二日酔いだった。
「60になったらどうするんだよ」
「あいつはどうしてるんだ?え?それで今は大丈夫なのか?お前がキッパリ仕事を辞めたのには驚いたけど、それはそれでらしいよな。しかし60まであと2年だぞ、俺たちは定年になったらどうする?」40年前に「第一志望の大学はどこにする?」と確かめ合っていた頃と変わらず、シラフになれば少しだけ先の未来について語り合う。同じ趣味に通じているかというとそうでもない。ましてや利害もからまない。中学に入学してあちこちから電車通学を始めてからというものずっとつき合い続け、そして思春期を共にしたよしみで今もお互いを気にかける「幼なじみ」、私たちはそんな感じなのだ。子どもの頃からともに年を重ねてきた者がそこそこの数いるというのは心強い。往時の中学受験が今日に比べてチョロいものだったとしても、「お前なんぞはガラの悪い下町の公立中学(当時は校内暴力の全盛期だった)に入れるとろくなもんにならない」といって尻を叩いてくれた亡き父に感謝する。
「それじゃあ、ここで」
24日、朝からMの車にそろって乗り込み、ゴンドラで登って岩岳マウンテンハーバーを見物した。それから白馬駅に下りてきて、Mは「じゃあな」と私たち2人を降ろして次の約束(木崎湖で昔からの知り合いとワカサギ釣りをすると言っていた)に去っていく。忙しそうなKは「それじゃあ、ここで」と言って午前11時7分白馬駅発長野駅行きのバスの列に並ぶ。私はそのまま駅でつれあいを待つ。今回の「メンズワールド」はここでさっぱりお開きだ。「最後の昼食くらい一緒に」と考え、あずさ5号で白馬に到着したつれあいは「あれ?」と訝しむ。つれあいに聞かれて困るような話など今さらないが、同級生だけの方が忌憚なく心やすいこともある。それがかつて四半世紀前にKが命名したところの「メンズワールド」だ。駅近くでやはり蕎麦を啜りながら、つれあいに昨日からの会話の一部をかいつまんで披露する。彼女は愉快そうだ。そういえばKに訊いたことはないのだが、ジェームス・ブラウンの曲「It’s A Man’s Man’s Man’s World」から取ったのだろうか。遠からずまた催されるに違いない。ああ、もうすぐ隠居の身。男子校出身同級生が共にする一昼夜、私たちはそれを「メンズワールド」と呼んでいる。