隠居たるもの、ターンテーブルに形見を載せる。2023年1月12日木曜日晴れ、シャトルバスを乗り継いで栂池スキー場に出向こうと準備にとりかかった朝のこと、友だちのFBで予期せずジェフ・ベックの訃報に触れた。享年78歳、突然に細菌性髄膜炎に感染し、そのまま息を引き取ったそうだ。相変わらずの超絶ギターを健康そうに弾く最近の姿も映像で見ていたから少なからず驚いた。朝食を終えゲレンデに向かう準備にいそしむとき、「Let’s Go!」とばかり、私は性急なロックレコードをかける。この朝にチョイスしたのは、もちろん永遠のギターヒーロー ジェフ・ベック。このレコード「WIRED」は兄貴の形見分けにとヤスから貰い受けたもの。1980年12月、そのヤスとFBに訃報をシェアしていたサッカー部の友だちと私、高校1年生だった3人は日本武道館アリーナ席それも前から3列目でジェフ・ベックを観た。

「Star Cycle」と「El Becko」

「『THERE AND BACK』がリリースされた時のツアーだったんだよ。コンサートはそのアルバムのB面1曲目『El Becko』から始まったはずだ」シャトルバスに揺られながらSNS越しに私がそう言えば、ヤスが「なぜかジャケット着てネクタイしめて、終わってからお前の家に泊まったんだ」と応じる。粋がり始めた時分でそりゃあ学生服でロックコンサートに行くわけにはいくまいが、その必死な姿がなんとも恥ずかしく愛おしい。しかし調べてみると「『El Becko』で始まった」というのは私の記憶違いで、実際はアルバムA面1曲目の「Star Cycle」で始まり「El Becko」は2曲目だった。「El Becko」が好きなヤスが「チャチャチャ〜ンチャチャチャ〜」と酔っ払ってギターの音色を鼻歌にするのを42年を超えて聴かされてきたから、いつしか頭にそう刷り込まれたに違いない。一方「Star Cycle」はというと、当時は金曜日夜8時から放送されていた新日本プロレス中継「ワールドプロレスリング」内で、次期興行シリーズに参加する外国人レスラーを古舘伊知郎が、たとえば「”暴走狼”アドリアン・アドニス!」などと仰々しく紹介するコーナーのBGMとして使われていて耳に馴染んだ曲でもあった。私はそんなこんなを想起していたのだ、すべてオーストラリアの方々で満員となったシャトルバスの車中で。

充実したシャトルバスライフをオージーとともに

白馬の主要スキー場の中で栂池は散種荘から最も遠く、近くの停留場から直通のシャトルバスは出ていない。まずは岩岳終点のバスに乗り込み、そこで栂池終点のバスが来るのを待つ。乗り継ぎの時間を合わせれば1時間ほどかかる。とはいえ、この雪道を自分で運転するわけでもないし、無料なのだからしてありがたいことこの上ない。新型コロナ禍で大幅な減便を余儀なくされた昨年一昨年の冬と違って、お客さんが帰ってきたこの冬はダイヤも元に戻り、充実したシャトルバスライフが送れている。なんてったって、その日の天候と気分に応じて縦横無尽に各スキー場を往来できるのだ。私たちは日々に近くの停留場におもむく。道すがら、近隣の貸コテージに宿泊するオージーが「Hi」とさっそく合流する。補助席を倒せば70人くらい乗れるだろうか、ここ2年は我々の貸切となっていたシャトルバスが、停留所のたびに乗り込むオージーで満席となる。車内で日本語を話すのは、私たち夫婦と運転手さんの3人だけだ。

「降りる」って英語でなんて言うの?

つれあいがそう訊いてきた。私たちが使う停留場は出発点に近いから、ほぼ間違いなく余裕で席を確保できるのだが、朝のバスともなれば、それ以降の停留所ですべての補助席が倒され、そこに身体の大きなオージーたちがちんまりと座る。終点まで行かず彼らより先の停留所で降りたかったら、すぐ横の補助席および前方の補助席に座っている方々に立ち上がってもらっていったん降りていただかなくてはならない。モジモジしているわけにはいかないのだ。しかし、あらためて質問されると情けないことにすぐには思い浮かばない。「エクスキューズミー」と口にすればなんとかなろうが、せっかくここまでオージーたちに取り囲まれているのだから、少しはコミュニケーションらしきものを体感したい。そうこうしているうちにその日に目指していた八方尾根スキー場名木山ゲレンデに到着する。動かざること山の如し、オージーたちは微動だにしない…。

I get off the bus.

しかし心配には及ばない。礼儀正しい彼らはこちらが立ち上がっただけですべてを察し、順次バスから降りて微笑みながら私たちに道を開けてくれた。それにしてもオーストラリアの方々は本当に身体が大きい。「どうしてこの人たちと戦争をしようなんて無謀なことを考えついたんだろう、よりによって力勝負で勝てるわけないだろうに」大勢でゲレンデで遊び興じる彼らを見るたびそう思う。次なる機会にはニッコリと「I get off the bus」、そう口に出してみよう。

2015年のフジロック、上原ひろみのバックには

シャトルバスに揺られながら、2015年の夏のこと、ヤスに髪を切られながら興奮気味にこんな話をしたのも想い出した。「上原ひろみって知ってるだろ?そう、ジャズピアニストのさ。今年のフジロックにトリオで一番大きなグリーンステージに出演していてな、そのステージを見たんだよ。それがな、驚いちゃった。名うてのミュージシャンとトリオを組んでるっていうのは聞いてたんだけどさ、ドラマーがさ、なんとサイモン・フィリップスだったんだよ。憶えてるだろ?高校1年のときに観たジェフ・ベックのコンサートでさ、ツインバスドラでとんでもないドラムを叩いていた、そうあの彼だったんだよ。相変わらず凄かったぜ!」

そういえば2009年のさいたまスーパーアリーナで

あれはまだ両親ともに健在だったし東日本大震災なんか予想だにもしていなかった2009年2月のこと。さいたまスーパーアリーナで、ジェフ・ベックとエリック・クラプトンのふたりがジョイントライブを開催するというとんでもない企画があった。同行者を伴わず、私は一人でさいたま新都心駅に出向き、「もう当分の間はギターの音を聴かなくてもいい」とうそぶくほどに堪能したのだった。ジェフ・ベックの急逝に際し、そのジョイントライブを観に行かなかったことを悔やんでいる友だちもいる。ただ「ベック」とだけ名乗るミュージシャンがアメリカにもいて、我が家ではそちらもよく聴かれるから、敬意を表してジェフ・ベックを「ベックさん」、親しみを込めてベックを「ベックちゃん」と呼ぶことで区別をしてきたっけ、そのベックさんがもういないのかあ…、しみじみとそんなあれやこれやを考えていたら、今朝になって高橋幸宏の訃報までもが…。病状が厳しいことは耳にしていたけれど…。ああ、もうすぐ隠居の身。もう少しの間、バスに揺られたままでいたいと思う。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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