隠居たるもの、雪を見上げて支度に励む。白馬はめっきりと冷え込むようになり、山の上はすっぽりと雪をかぶるようになった。それに比してすっかり紅葉した中腹部は見事に赤く、それでも麓にはまだまだ緑が残る。白・赤・緑、キリッっと冷たい空気の中に浮かび上がる三段紅葉というやつだ。「遥かなる山の呼び声」が聞こえてくる。ベースキャンプと呼ぶべき自前の拠点を初めて手にしてからのこのシーズン、もちろん準備に余念がない。
「くたびれたギアの買い替えどきですか?」
とある昼下がり、私は各アウトドアブランドのホームページで冬のジャケットを物色していた。ゲレンデで着用している今あるものは、2010年の2月にコースデビューし10シーズン着用し続けたものだ。スノーボーダーと称する私たちである。1シーズンで2〜3日しか使わないわけではないし、様々な天候下でそこそこ酷使もしてきた。ファスナー周りのコーティングがボロボロになっていたりと、ずいぶんくたびれている。「散種荘ができあがる来シーズンにこそ」と昨年は買い換えを見合わせた。冬の山の中で防水にして防風にして防寒の機能を委ねるものであるから、このシーズンまで我慢することは大袈裟にいえば「命に関わる」。機能が高いに越したことはないが、八甲田山で雪中行軍演習をしようというわけではない。べらぼうにハイスペックで高価なものはかえって恥ずかしい。昨年、萩生田光一文部科学大臣がおっしゃったではないか。確かに「身の丈」に合わせることは肝要なのだ。デザインを含めてようやく釣り合うものを見つけ、パソコンの前につれあいを呼び「このpatagoniaのやつが妥当かね」などとアドバイスを求める。すると、そのタイミングで当のpatagoniaからメールが届く。なんとタイトルは「くたびれたギアの買い替えどきですか?」、2人で大爆笑…。おっしゃる通り、くたびれきったギアを買い替えようとお宅のホームページをちょうどあけていたところだ。「どこかで覗き見してるの?もうご祝儀だ!お宅で買うよ!」と二人で盛り上がったのだった。
隠居たるもの、派手なくらいがちょうどいい
白馬にはpatagoniaとTHE NORTH FACEの大きな直営店がある。snowpeakもすごい施設を作って進出してきた。その他にも日本のブランドmont-bellや北欧アウトドアウェアを揃えるFULLMARKSのショップ、登山・クライミング・アウトドア用品の総合専門店 好日山荘だってある。つまりアウトドアウェアショップのメッカなのだ。馴染みになるためにも、下調べをした上でこのうちのどこかで購入しようと考えていた。この10シーズンの間、私が着用していたのは「薄いカーキ」とでもいうのか、ホグロフスのとても地味な色合いのものだ。10年前はそれが似つかわしくもあったのだ。しかし「コースで離れちゃうと、ウェアが地味だから見つけるのに苦労するのよねぇ」つれあいはそんなことを言う。隠居の大先輩と思しき溌剌としたご高齢の方々は、概して明るく鮮やかな色合いのウェアに身を包んでいることが多い。そう、あれから10年経っている。「落ち着き」を演出しなくたってもうすでに「落ち着いて」いるのだから、これからは「華やぎ」を醸し出すことを心がけたい。後期中齢者は恥ずかしがらず派手なウェアに袖を通すべきなのだ。日常の服装でもそう気にかけているではないか。私は思いきってイエローをチョイスすることにした(patagoniaからのメールに触発されていることも否めない…)。昨夕、適するサイズのものを取り寄せてもらったpatagonia白馬店に立ち寄り引き取った。これをまとって颯爽と滑るのである。どこのゲレンデをかって?そいつは白馬八方尾根スキー場なのだ。
生まれて初めてシーズンチケットを手に入れる
10月30日までに申込むと1万円以上の早期割引がある。新型コロナの感染状況で「閉鎖」となったら払戻しもある。散種荘の近くに無料のシャトルバスも停まる。このシーズンは八方尾根スキー場にかける。清水の舞台から飛び降りるつもり(割引きといっても59800円もするんだもの。ちなみに1日券に換算すると10.87枚分)で、私たちは生まれて初めてリフトのシーズン券を申込んだ。明らかにスノーボードライフが変わることだろう。これまではどうだったかというと、1泊2日か2泊3日、長くて3泊4日、まずは目的地とそれに合わせた旅程・日取りを決める。そしたら宿や交通機関を予約する。当たり前の話だが、その時点でゲレンデのコンディションはわからない。日取りが近づいて、まだ雪が積もっていなかったり天候が悪かったりしても、悲しいかなどうにも予定は動かせない。そして、休みをとってせっかくやって来たのだからと、雪が少なくたって吹雪いていたって視界がほとんどなくたってリフトが1本しか動いていなくたって、リフト券を購入して悲壮な決意でコースに出る。こうしたことをしなくていいのだ。コースのコンディションが悪ければすぐに撤収すればいい、天気がいい時をゆっくり見計らえばいい。それが夜だというのならナイターにだけ行けばいい。春先に思いがけずにいい雪が降ったら、おっとり刀でシャトルバスに飛び乗ればいい。私たちは選択肢を持つにいたったのだ。「贅沢」の神髄がここにあることにようやく気づく。
「次回から水抜きをお願いします」
散種荘に着くと、管理会社からのメッセージが残されていた。「次回のご利用時から水抜きをお願いします」何日も使用しない日が続き水道管に流れがないと、そこに溜まった水が凍り管を破裂させることがある。家の周りの紅葉もずいぶんと進み今が盛りだ。薪ストーブもなんとか使いこなせそうでほっとする。そろそろTHE NORTH FACEに出向いてスノーブーツを用意しよう。白馬はこれから冬だ。ああ、もうすぐ隠居の身。キレンジャーとは呼ばないでほしい。