隠居たるもの、ぐったりダラダラ手帳を替える。2021年12月2日の午前中、私は手帳を入れ替えていた。11月30日の押上と12月1日の新宿、私はふた晩連続で異なる旧友たちと酒を酌み交わしていた。「このところはいいけどこの後どうなるかはわかんないから、ワクチンの抗体がまだある今のうち、どうだ久しぶりに会っとくか」とそれぞれに示し合わせてのことだった。案の定、オミクロンなんてやつが出てきて今後どうなるか本当にわからなくなった。しかし各々の面子と顔を合わせるのも久しぶり、しつこくだらしない酒飲みにならないよう心を配り、私はほぼ2年ぶりの2連チャンに臨んだ。そして想定していた通り、(2日とも早く切り上げたとはいえ)57歳と6ヶ月半にはいささかなりともダメージが蓄積する。ゆえにはなから2日の午前中は、ダラダラ手帳の入れ替えをして過ごそうと予定していたのである。

2021年に観たサッカーのゲームは145試合だった

クオバディスというフランスのメーカーの手帳を長年にわたって使っている。私が買い求めた2022年版は、2021年11月15日月曜日から2023年1月1日日曜日までを網羅している。予定というのはひと月くらいの先を見越して決まっていくから、ぴっちり1月から始まって12月で終わる手帳だと、年末になると古いのと新しいのを2冊持ち歩かないといけない。クオバディスの場合、12月初頭に入れ替えれば所持するのは常に1冊だけで済む。またカバーはそのまま中身だけを入れ替えればいいのも好ましい。

思い起こすに、かつて手帳の後ろには「電話帳」なんてものもついていて、出先で電話をかけるに際しては、それを見て公衆電話のダイヤルを回したものである。だから手帳を失くすことは「連絡先」すべてを失くすことに等しいエライことで、残念なこと失くしてしまった場合、よくダイヤルを回すからこそ番号を憶えている友人のところにまず電話をかけて、他の友人の番号をあらためて教えてもらったりした。新しい2022年版を確認してみると、そもそも「電話帳」はない。メモリー機能はスマホや携帯電話に置き換えられた。それではスケジュール管理もスマホの「カレンダー」を使えばいいのではないか?その通り、実際に私はスマホを使っている。実は外出するときには手帳を所持せず、すべてスマホで簡便に済ませている。それを机の上で手帳にわざわざ書き写す。そこまでして手帳を持ち続けるのはなぜか。私にとって手帳は日記帳だからである。

読み終えた日の、ページを閉じただいたいの時刻に、その本の名を手帳に記す。映画やテレビ観戦したサッカーの試合、そして日々のウォーキングやジムでのトレーニングも同様。いちいちコメントなど記すことなく、ただすべてを記録する。今のところ、私は2021年にサッカーを145試合(今年はヨーロッパ選手権があったから6月のひと月だけで49試合も観ていた)テレビ観戦している。ざっと見渡して、最も感動した試合は準々決勝のクロアチア対スペインだったことを思い出す。

https://longride.jp/public/

2021年の映画と読書遍歴

昨年来の新型コロナ禍で製作や公開が滞っていることもあるのだろうが、夜に外出することもないから結構な数を観ていたのに、今年は「いい映画だったなあ…」としみじみ感銘を受けた作品があまりなかった。しかし手帳をパラパラやっていて、この映画を7月に観ていたことを思い出した。エミリオ・エステベス監督・脚本・主演「パブリック 図書館の奇跡」。記録的な大寒波が迫るシンシナティの冬の晩、図書館員スチュアートは命の危険にさらされたホームレスたち70人と図書館に立てこもる羽目になる。さすがエミリオ・エステベス、メッセージが込められたとても素晴らしい映画だった。それじゃあ、本はどうだったかというと、小説は「歌え、葬られる者たちよ、歌え」(ジャスミン・ウォードの2017年作品)、人文書は「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の論理」(デヴィッド・グレーバーの2018年著作)だった。前者は、アメリカが抱え続ける悪夢を心臓部から深く抉った、胸が締めつけられるような、それでいてこの上なく美しい大傑作だ。後者は、どうして効率化を名目としながら世の中には「クソどうでもいい仕事」がいつまでも増え続けるのか(例えば罰ゲームと疑うほどに意味のない事務作業とか)、なぜ「働き方改革」は結局のところ仕事量が増えるだけで誰も幸せにならないのか、それを人類学者が突き詰めた論考である。それを実際に経験し、これ以上は我慢ならんと早期に「定年退職」した身である私は、ブンブンと首を縦に振って痛快に納得したのであった。

カレンダーを用意する、年賀状を買い求める。

この1年どこで何やって何を見てどんなことを考えていたのか、手帳をパラパラやれば思い出せる。そして、手帳を入れ替えているからには、もう今年も年末だ。カレンダーも用意した。コンピューター、iPad、スマホ、手帳でスケジュール管理はできるから、カレンダーは暦がざっくりわかりさえすればいい。これまで使っていたスタンド式のシンプルなやつはよすことにして、東京都現代美術館のミュージアムショップで見つけたキョトンとした可愛らしいタイガーを導入することにした。来年は寅年なんだった。あとは恒例、池田元一商店さんから届くやつを待っている。暮れの仕事をまとめて一気にこなすと疲労困憊する「寄る年波」が来ているから、年賀はがきも早々に買い求めるなどして年末進行を少しずつゆっくりと始めている。あといくつか忘年会らしき会を約束してはいるのだが、そして間違って人に迷惑かけるのもなんだから12月7日にPCR検査の予約も取っているのだが、はてさてどうなるものか(昨年は忘年会なぞ一度たりともなかったのだ)…。ああ、もうすぐ隠居の身。この冬から私は「師走」であっても走らない。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です