隠居たるもの、淡々と静かに庵で過ごす。「一週間」というロシア民謡をご存知のことと思う。その前の二週間の出入りがいささか激しかったからか、2021年11月8日月曜日を起点とし、遠出することもなく深川近辺で過ごしたこの一週間、ことさら穏やかに感じられるのも無理もない。するとなると「そういえば『一週間』って、どんな歌だっだっけ?」なんてことが頭をよぎり、便利なもので早速インターネットで検索し、そして仰天する。一体全体この人はなにをどうして暮らしているんだろうか。楽団カチューシャの訳詞である。「日曜日に市場へでかけ 糸と麻を買ってきた 月曜日におふろをたいて 火曜日はおふろにはいり 水曜日にともだちが来て 木曜日は送っていった 金曜日は糸まきもせず 土曜日はおしゃべりばかり テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ テュリャリャ テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ リャ ともだちよ これが私の一週間の仕事です」って…

月曜日に「「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放送されなかった時)」に震える

私はもう少し仕事をしている。他にすることもない週だからということもあるが、非常勤で手伝っている仕事に3日出かけたし(1日につき2時間から3時間強だけども)、その他に仰せつかっている同窓会や集合住宅理事会などボランティア仕事もせっせとこなしている。とりわけ月曜日は、午前に家事とジム、午後から非常勤仕事を3時間強こなし、夕方から同窓会のオンライン会議と忙しく過ごした。そして晩酌しながら落ち着いて、INKYOシネマズ(壁紙にプロジェクターから直接映写する我が庵の映画館)で、「すごく良かったから必ず観ろ」と先輩に言われ、幸いなこと7日の日曜日にWOWOWで放送されていた「「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放送されなかった時)」を観た。なんというか、魂が震えた。すごかった。

1969年ウッドストックと同じ夏に、NYのハーレムでブラックミュージックを聴くための黒人による黒人のための入場無料のフェスティバルが催されていたというのだ。撮影されたものの「所詮は黒人のフェスティバルだから」と無視されお蔵入りとなっていたフィルムが発掘されたのを機に、参加した人たちが当時を振り返る証言を交えてドキュメンタリーとして再構築されたのがこの映画だ。スライ&ファミリーストーン、ニーナ・シモン、ザ・ステイプル・シンガーズなどなど、圧倒的な熱量、ファンキーでありながら毅然とした佇まい、居ても立っても居られないほどにカッコいい。また、52年前のフェス参加者が語るメッセージ(例えば、同じ日にアポロ11号が月面着陸を果たすのだが「あんなことに大金を費やすくらいなら貧困対策をもっとしっかりすべきだ」とか)がそのまんま現代に通用することに慄然とする。すごく良かったから必ず観た方がいい。

「最良の者が信念を失い 最悪の者が活気づく」

上の写真は木曜日に観た2017年の映画「さよなら、僕のマンハッタン」の一場面である。NYのアートシーンが「商業主義に敗北し、創造の場ではなく消費の場でしかなくなった」と主人公の母親が嘆く場面だ。字幕には「GBGB」とあるが、これは誤訳で正しくはイーストヴィレッジにあった先鋭的なロックの聖地、ライブハウス「CBGB」のことだ。そこそこ面白い映画だったが、それ以上に「CBGBの跡地はブランド店」と教えられたことに衝撃を受けた。CBGBはラモーンズやパティ・スミス、そしてソニック・ユースを排出した聖地中の聖地である(私も2度ほど巡礼した)。家賃が払えず2006年に閉鎖となったのだが、それがこともあろうにブランドショップに変わり果てているとは…。母親は唾棄するようにこのセリフを発する。まったくもって同感である。また劇中では、NY精神の権化 ルー・リード(2013年没)がやっぱり今はなき伝説的ライブハウス ボトムライン(マイルズ・デイヴィスやスティーヴィー・ワンダーが出演)でアイルランドの詩人イェーツの一節を引用したことが繰り返し取り上げられる。その一節とは「最良の者が信念を失い 最悪の者が活気づく」だった。

「思いつきで世界は進む」

かつて私は橋本治(1970年代後半に「桃尻娘」シリーズでデビューし、2019年に70歳で亡くなった)を大変に尊敬していた。なぜにそこまで尊敬していたか今から思うと、彼が「偽善的なリベラル気取り」と「露悪的なポピュリスト」双方を飄々と軽やかに批判してみせたからだろう。忙しさにかまけて日常的な読書習慣を放擲してしまった30年ほど前から今の今まで(7年前に習慣を取り戻してからも)まるっきり読んでいなかった。久しぶりに「思いつきで世界は進むー『遠い地平、低い視点』で考えた50のこと」という2014年から18年のエッセイをまとめたものを少しずつ読み進めている。先般の選挙の結果、お調子者の「露悪的なポピュリスト」が図に乗り、相変わらず議論の前提も示さず大切なプロセスはぶっ飛ばして乱暴な二者択一を声高にせまる「最良の者が信念を失い 最悪の者が活気づく」昨今、橋本治の慧眼に救われる。そして、やはり少しずつみちみちと併読しているのがレヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」だ。若い頃に読んでいきがって分かったような顔をしていたけど、なにも分かっていなかったことが今に読み返すとよく分かる。「勢い」に酔っている者はかように信用できないということだ。

金曜日に毛蟹を食べる

友人が勤めるインポートアパレル商社のファミリーセールに誘ってもらい、この一週間で唯一、金曜日に乗り物(地下鉄3駅)に乗って馬喰町に出向く。白馬用のネルシャツ(NYのメーカーのもので22,000円がなんと5,500円!)などを見つけた。新型コロナ禍、密にならないよう涙ぐましい努力を続けていることに感心するが、客の方はこれまでの数回に比べてセールらしく少し殺気だっているように感じた。そしてその晩は奮発して週末らしく、近所のスーパーに並んだ北海道ぎょれん提供の毛蟹(2,980円也)で晩酌。そいでもって土曜日のお昼は小名木川の果てまで往復10キロのウォーキングに出かけ、午後は数ヶ月に一度の風呂大掃除。明けて日曜日の今日は完全休養日にしてこんなものを書いている。テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ テュリャリャ。ああ、もうすぐ隠居の身。これが私の一週間の仕事です。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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