隠居たるもの、新たな師匠を見つけだす。ソール・ライターという写真家をご存知だろうか。巷では、Instagramで「#ソウル・ライター風」などと気取る者も見受けられるほどに“きている”そうだ。83歳だった2006年、写真集「Early Color」が刊行されて再発見され、2013年11月、ニューヨークで89歳で亡くなっている。いつもと変わらぬ日曜日の始まり、2月9日のEテレ「日曜美術館」で特集されており、不明にも知る由もなかった私もようやくここで発見するに及んだ。
私たちは色彩の世界で生きている。私たちは色彩に囲まれているのだ。
1923年ピッツバーグ、彼はお父さんが聖職者(ラビ)であるユダヤ教の厳格な家庭に生まれる。ラビ養成大学まで進むが、画家を志し中退してニューヨークへ行く。1947年、MOMAで開催されたアンリ・カルティエ=ブレッソン展に感激し写真を撮影し始める。50年代後半に見初められてファッション写真を手がけ売れっ子となる。1981年、クライアントが撮影中も偉そうに口出しするようになったことに嫌気がさし、商業写真の世界からきっぱりと身を引く。習慣は変わることなく、カメラを手にニューヨークを「散歩」し続け、かつてより撮り溜め私蔵していたものをまとめた「Early Color」で再発見される。とりわけ、カラーフィルムが世に出たばかりのニューヨークの情景は鮮やかだ。にわかファンであるから、至らぬ点ばかりであることはご容赦いただきたい。番組を見た限り、彼の「成功を追わない解放されている」人間性を賞賛する声が多かったため、こうした略歴を念頭に置くことが必要であると考えた。そして、どこかザワつく心持ちを確認したくていてもたってもいられず、渋谷のBunkamuraで催されている「永遠のソール・ライター」展に駆けつけたのである。
私の好きな写真は、何も写っていないように見えて片隅で謎が起きている写真だ。
今年に入って東京メトロ銀座線渋谷駅が新駅舎になった。物見遊山とばかりに初めて降り立つ。軽い気持ちでなめすぎだったのだろう、改札を出たものの自分が渋谷のどの位置にいるのかまるっきりわからなくて目眩がした。再開発とやらで駅構内のどこもかしこも工事中。迷子になるかと怯えながら、ほうほうの体でハチ公の前に出ると、広場とスクランブル交差点は記念撮影をしている外国人観光客の方々でいっぱい。それでも新型コロナウィルスの影響で少なくはあった。
Bunkamuraまで緩やかに登る。地下の会場に下りる。たしかに、虚心坦懐に街の情景を見つめる彼の人間性がこぼれているような作品である。しかし、そればかりではない。一瞬をとっさに切り取ったためにどこにもピントがあっていない、その臨場感を味わうべき作品なのかと思いきや、片隅に小さく写った「脚」にピントが合わされていたりする。人生のドラマは常に片隅で起きている。
私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないのだ。
たしかに彼が残した多くの作品はいつも散歩しているニューヨークの情景で、ことさらなロケを敢行したものではない。それが絵になるのはニューヨークだからか?そうともいえまい。彼は日々に散歩し、時には決定的な瞬間をカメラに収めることもあろうが、大半の時間は「こんな状況の時にそんなことが起きたら、さぞやあそこは神秘的に見えるに違いない」と想像し思考を巡らせて興奮していたのではなかろうか。そして、いざ「こんな状況」が出来(しゅったい)したら、「あそこ」に足を運び「そんなことが起きる」のを待ってシャッターをきっていた。そういう写真なのである。私たちは「馴染み深い場所」で起こる「神秘的なこと」をいともたやすく見過ごす。「起きるはずがない」と勝手に思い込んで見出そうとすらしないからだ。そこで人間が暮らしていて、お天道さまの顔色うかがってままならないまま生きているんだもの、「奇跡」が起きないはずがない。ソール・ライターは教えてくれる。想像と思考を巡らせて散歩するだけでいい。まずは身の周りを好意をもって観察してみよう。ジェットセッターにならなくたって、日々の暮らしに刺激は忍んでいる。
絵画の素養がある彼のカラー写真は「絵」である。その「絵」ができあがるタイミングを見計らっていた。たとえば、雨が降る日に曇りガラス越しで滲む人物写真、「雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い」とこのシュチュエーションを好んだようだが、これはまるで印象派の絵画のよう。雪景色に浮かぶ赤い傘、これは白と赤の色彩のコントラストがとにかく好きだったのだろうし、その他にも、街のありふれた情景を切り取るエドワード・ホッパーの絵画のような写真もたくさんあった。
成功者になれる人生か、大事な人に出会える人生か。私なら大事な人に出会える人生を選ぶね。人と心を寄せあえる人生を。
会場を出ると、色鮮やかなNIKEエアマックスを履いた青年が闊歩している。センスが良くてとてもカッコいい。とっさにiPhoneを取り出し急いでカメラを起動する。マイガッ、老眼鏡までは間に合わない。ええいままよ、一瞬遅れて見当つけてシャッターをきる。ああ、カメラのピントの前に目のピントが…。
今回の省察の見出しはすべてソール・ライターの言葉を引用している。感じ入った展示だった。彼はこうも言っている。ああ、もうすぐ隠居の身。「肝心なのは、なにを手に入れるかじゃなくて、なにを捨てるかなんだ。」
*「永遠のソール・ライター」Bunkamuraでは3月8日まで。4月から京都に巡回するそうです。
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_saulleiter/