隠居たるもの、しっとり聴きいる秋のため息。1941年生まれの青江三奈は、21年前の2000年7月、膵臓ガンで亡くなった。享年59歳だった。もし存命であれば彼女は今年80歳で、ひと月半ほど前に亡くなったローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツも享年80歳であったから、二人は海を隔てた同級生ということになる。昨年はジョン・レノンやブルース・リーの生誕80年にあたる年でもあったし、そんなことを思うと「そりゃあオイラも年を取るはずだ」などと(身体は疲れてきたけれど年を取った実感なんぞ実のところサラサラ持ち合わせていないくせに)いくらか神妙な心持ちになったりもする。生誕80年を記念しジャケットも都会風に一新して先ごろ再発された彼女のラストアルバム、1993年発表「THE SHADOW OF LOVE ~気がつけば別れ~」を私は聴いている。
果たして「お色気ムード歌謡」が彼女の本意だったのかどうかはわからない
満年齢でいくつくらいが境となるのだろうか。すでに21年前に亡くなっているとはいえ、私たちの年恰好で青江三奈を知らない人はいない。1966年5月に25歳でデビューしていて(4歳サバを読んで公称は21歳、そのまま最後まで1945年生まれで通したそうだ)、デビューシングル「恍惚のブルース」がすぐさま80万枚のヒット、「伊勢佐木町ブルース」の大ヒットでNHK紅白歌合戦は1968年から1983年まで16回連続出場、「見えすぎちゃってぇ 困ぁるのぉ〜」なんて彼女が歌ってパンチラするお色気CM(マスプロ電工のマスプロアンテナ)もあった。1970年代にはまだテレビアンテナのCMが頻繁に放送されていたのだから、今から思えば「隔世の感」である。そんなこんなを推測すると、おそらく日本で育った45歳以上の人間ともなれば「チャララチャラララッラチャン『ア〜ン、ア〜ン』の艶っぽい歌手」として強烈な記憶が残っているのではなかろうか。その彼女のラストアルバムが再発されるにあたり「こいつにご興味はありませんか」と耳寄りな一報を寄越してきたのはディスクユニオンなのだが、それを受けて私は妙にソワソワしてしまう。だからといって幼少のみぎりに彼女のお色気にノックアウトされたことは多分ない。
この比類なきスモーキーな歌声
青江三奈は江東区砂町の出身で、高校生の時から銀座「銀巴里」のステージに立っていたそうだ。高校を卒業していったんは西武百貨店に勤務するも、あの雰囲気漂うハスキーボイスである、ほどなく退職してクラブシンガーに専心する。その頃に生まれていたわけではないから、当時のステージを見たわけではもちろんないけれど、これまで57年聴いてきた音楽の蓄積から推量するに、ジャズを歌う彼女はそれはそれは素晴らしかったに違いない。その彼女が生前最後に発表していたのが、なんとスタンダードなジャズを歌うアルバムだったというのだ。しかもニューヨークで名うてのミュージシャンをバックに従えて(本当にすごいメンバーばかりなのだが、その一人一人を紹介するのは私には荷が重い。ご興味がある方は写真を拡大して確認してほしい)。それはソワソワしようというものだ。Apple Musicにあったので、8月中頃のこと、まずは配信で聴いてみた。素晴らしい。スモーキーでセクシーな歌声が比類ない。想像した通り「お色気ムード歌謡」ではなく、これはまさしくジャズアルバムだった。私は9月末に再発されるというレコードを予約することにした。しっとり秋の静かな日、そのアルバムがようやく散種荘のターンテーブルで回っている。
「キングメーカー」気取りの男たち
青江三奈はすべて英語で歌っている。A面6曲目に収録されている「Bourbon Street Blues」という曲は、英語で歌われる「伊勢左木町ブルース」(お約束なのだろう)だ。だからといって必要以上の「お色気」はそこになく、ジャズスタンダードと呼んで差し支えないほどの楽曲に昇華されている。ジャケットに刷られた、Freddy Coleとデュエットする当時52歳の青江三奈の老眼鏡姿がチャーミングだ。彼女はなにも「お色気ムード歌謡」を歌いたかったわけではなかろう。おそらくレコードデビューに際し、芸能界の「キングメーカー」を気取った年嵩の男たちに「よし、君はお色気でいこう!ついでに年も4つサバ読んでおこうか」などと安易に路線設定されたに違いない。彼女の実力が並外れていたから売れっ子になったものの、その「お色気」イメージはシンガーとしての彼女を少なからず損ない続けたのではなかろうか。本来の青江三奈を知らないのは不幸である。生誕80年にかこつけて、彼女が「晩年」にしてようやく本来の姿を見せつけたこの素晴らしいアルバムをとりあげて再発した関係者の英断を讃えたい。(*文末にamazonへのリンクを貼っておいたので、CDやレコードで聴いてみたいという方は是非どうぞ)
それにしても昔の人は大人っぽかった
この夏、実は美空ひばりがスタンダードを歌ったアルバムも2枚再発されていた。こちらもApple Musicで配信されていたから聴いてみた。美空ひばりはやっぱり歌がうまい。この堂々たる華やかさは余人をもって代えがたい。だけど「買い求めてみようか」とまで食指は動かない。(いくらかの例外を除いて)元の言語を日本語訳して歌われる曲がそもそも私は苦手だし、この2枚はあくまで私が知っている大スター「美空ひばり」のレコードで、それを超える驚きがそこにはなかったからだ。
私が初めて青江三奈を認識したのは、今から49年前の8歳くらいのことだったと思う。わかりもしないで「ア〜ン、ア〜ン」とやっていたに違いない。彼女は私より23歳年上なので、そのころ31歳あたりだったのだろうか。子供からすれば当たり前のことかもしれないが、それにしても昔の人は今よりみんな大人っぽかった。10月とは思えない陽気に、短パン・Tシャツ姿でこれをしたためている57歳の私はそう思う。気づくと青江三奈が亡くなった年齢まであとふたつなのであった。「キングメーカー」気取りの年嵩の男たちが、醜悪にいばりくさっていることは今も変わりないが。ああ、もうすぐ隠居の身。ドゥドゥビ ドゥビドゥビ ドゥビドゥヴァなのである。