隠居たるもの、紹興酒片手にW杯を語る。「香車3枚並べて桂馬2枚をそのまわりでチョロチョロさせて、それで勝っちまったんだぜ?けれども考えてみればそれしか策はないもんな、そもそも飛車角がいねえんだからさ。」日本対ドイツ戦の興奮が冷めやらぬ2022年11月26日土曜日、「コロナ陰謀説」がひっそり渦巻く新橋に、サッカー部の同期5人が集い語らった。「近いうちに同期だけで飲まねえか」と声が上がり、「やはり土曜日の方が気やすいだろう」とお互い都合をつき合わせ、W杯中とはいえ確かめると日本戦は翌27日の夜、それならいいかとひと月くらい前に予定を立てたのだ。「相変わらずメッシ走らねえな」とか「若いやつらが『先輩、もういいすよね?』ってロナウドのこと無視してボール回し始めたら途端に強くなったぜ、ポルトガル」などと、話題の細部がやはりサッカー部に在籍しただけのことはある。

手練手管に長けたのらりくらりとした相手

「初戦がドイツだったのは幸いだったかもしれないな。あそこは事前に立てたゲームプランに則ってきっちり試合を進めたがる。だからかえって奇襲の策が練りやすい。分析チームがこの初戦に賭けたプランがまんまとハマったんだろうな。そこからすると手練手管に長けてのらりくらりと試合を進めるコスタリカ相手にプランは立てづらいぞ。日本がこうした中南米のチームを苦手にしていることを忘れちゃあならない。寝技に持ち込まれて面白くない試合して気がついたらいつも負けている。なのに劇的な勝利のあとはそんなことすっかり忘れて『もう勝ったも同然』という雰囲気に包まれ同じことを繰り返す。だからこそ気を引き締め直して、現時点のベストイレブンで臨んで、真っ向勝負で挑むべきだ。このチームなら間違いなくコスタリカに勝てる!」と2次会で流れた中華料理屋で春巻きをつつきながら、私たちは気勢をあげた。結果はというと、みなさんご存知の通り。まあ真相は当事者たちにしかわからないのだろうけど、どうしてだか控え選手を並べて面白くない試合して気がついたらしょんぼりと負けていた。

とても面白い全64巻のコミックス

「え?順番通りに全部観てんの?早送りもなしで?」と同期たちは驚く。日本でW杯の全試合が中継されるようになったのは、BS放送が本格化した1990年イタリア大会から、日本が出場するなど想像すらできなかったころのことだ。以来、94年アメリカ大会、98年フランス大会、2002年日韓共催大会、06年ドイツ大会、10年南アフリカ大会、14年ブラジル大会、18年ロシア大会、そして今22年カタール大会、合計9大会、私はすべての試合を観ている。一大会は全64試合、決勝戦にたどり着いた2チームでそのうちの13試合を占める。とても面白い全64巻のコミックスみたいなもの、とでもいえばいいか、どの国が優勝するにせよ、ことここに至るひと月ほどの間に、「必然」と思える「物語」が積み上げられる。その「物語」をよりいっそう楽しむためには、当然のこと順番通りに第1巻から読み進むに越したことはないし、最終巻をかいつまんだだけでは存分に余韻にひたることもできない。たとえ決勝戦がつまらない試合に終わったとしても、そこには必ず「理由」があるのだ。だから一度でも経験すると、全試合観戦はやめられない。

その試合の話は私の前でしないでほしい

どうやったらそんなことができるのか、同期たちは不思議がる。「06年ドイツ大会までは簡単だ。『寝ないで観る』それだけのことさ、まだ若かったんだよ。しかし40代も後半になるとそんな無理は効かない。だから生活のパターンをW杯に合わせる。大会の前半はスケジュールがたてこんで1日3試合あるから、普段より早く起きて、朝食を食べて身支度を整えながら出社前にひと試合観る。従前より仕事の予定をコントロールして、大会中はなるたけ定時に帰るようにして晩酌をしながら2試合観る。消化しきれないものは休みの日にまとめて観る。もちろんライブでなく録画したものを観ることが多いから、これから観る試合の情報や結果が目や耳に入らないようニュース番組は見ないし、街中だってキョロキョロして歩かない。会社でも周りの者に『W杯の話題を持ち出すときは”いいですか?”とひとこと断りを入れなさい』と厳重に言い渡しておく。実際に『その試合の話は私の前でしないでほしい』と返すこともあった。うっかり口にしてしまった者と大人げなく2日間絶交したこともあった。しかし今回はヨーロッパシーズンを中断して開催することになって会期が3日ほど短いがゆえ、大会前半が毎日一日に4試合なんだ。さすがに連日の4試合は仕事を辞めてなかったらこなせなかったかな。」

「門前の小僧、習わぬ経を読む」てえやつだ

情報過多な社会をどうやってかいくぐるのか、同期たちの追求はなかなかにしつこい。「Yahooニュース?そういう類の速報もどきは常から『いちいち流してくれるな』という設定にしてある。知りたくもない情報を四六時中垂れ流されるなんて鬱陶しいだろ?え?電車の中のニュース掲示?ああ、ドアの上に小さく画面がふたつ並んでるあれな。はは、俺はもう電車になんか毎日乗らねえんだからさ。え?つれあいが嫌がらないかって?最初のうちは観念して我慢してたに違いない。うん、あれはチャビやイニエスタが全盛でスペインが優勝したあの10年南アフリカ大会だ。いつになくいっしょになって熱心に観てるんだよ。日本と韓国、ともに決勝トーナメントに進出したあの大会あたりからだな、『勝ち点供給国』だったアフリカとかアジアやらの国がそう簡単に負けなくなった。つまり『底辺』が強くなり始めたんだ。いきおいすべてのゲームが白熱する。『これは全64巻の面白いコミックスなんだ』ってつれあいも気づいたんだな。『門前の小僧、習わぬ経を読む』てえやつだ。延長に入ってイニエスタのゴールで決着がついた決勝戦が終わったとき、『ああ、見届けた…』って清々しい顔をしていたっけ」

W杯はどこか同窓会のようでもある

スイスにヤン・ゾマーという優れたゴールキーパーがいる。2012年から代表のゴールを守る守護神で、名門ボルシア・メンヘングラートバッハに所属する33歳の選手だ。グループGスイス対カメルーン戦、ゴールマウスに仁王立ちする彼を久しぶりに拝んだ。「おお、ゾマーじゃないか!元気なんだな!」、私は思わず声を上げた。つれあいは「同窓会じゃないんだから」とクスクス笑うが、プレーぶりをよく憶えている往年の名選手が監督として出場しているとなんだかパッとした心持ちになるし、それどころかそんな面々が観客席に並んでいるだけでもなぜか嬉しくなる。長年にわたって観続けているからだろう、実際どこか「同窓会」のようでもあるのだ。

この時期にサッカー部同期で集ったのは、実のところW杯の話がしたかったからではない。話題だってあれやこれや多岐にわたった。そろって誰もが仕事をしなくなる将来にそなえて、面つき合わす頻度を上げておこう、こっそり裏に潜むそんな意図の方が大切だった。今さら隠しごとをしようもないこの連中と、おそらくこのままそろって還暦を迎えることになる。ああ、もうすぐ隠居の身。そして思い出したようにやっぱりサッカーの話をするだろう。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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