隠居たるもの、庵の移設に余念ない。2026年7月9日木曜日の午前10時37分、クリーニング屋さんが来るのを待っている。クリーニング屋さんといっても衣服のそれではない。ハウスクリーニングのそれである。4月14日に、一本のシデという木を移植するとともにウッドデッキを解体することから始まった離れ増築工事は、順調に3ヶ月弱の月日を重ね、ウッドデッキ修復工事をこの日の朝に終えていったんの完了を見た。とはいえ、大工さんたちがざっと掃除はしているものの、離れの室内はまだあちらこちらでおが屑が幅を利かせていて荷物を搬入できる状態にあらず。地元工務店の社長が手配してくれたプロのハウスクリーニング屋さんの仕事が終わるのを待って初めて運び込むことができる。深川からの引越しを成し遂げたのは2ヶ月前のこと、この間ずっと行き場のない段ボールが散種荘のリビングに積み上げられてきた。この風変わりな共生がようやくにして解消されるのである。

渡辺篤史の決め台詞は「いいですねぇぇぇ…」

 37年も続き今も放送されている「渡辺篤史の建もの探訪」という番組がテレビ朝日にある。俳優の渡辺篤史が、一般人が思い入れを込めて建てた新築住宅を訪ね、細部にわたってとにかく “褒める” 、知る人ぞ知る密かな人気番組だ。30年ほど前にいっしょに暮らし始めた私たち夫婦も、週に一度の放送を賃貸マンションの一室で欠かさずにチェックしていた。中学高校の同級生が登場し自宅を紹介していて驚いたこともある。普請道楽(ふしんどうらく)といってもいいほどに住まいをいじり構築したがる性癖は、実のところこの番組を介して培われたのかもしれない。自身のマンションを持ちリフォームを重ねたあたりから見ることもなくなったが、こうして自ら一軒家を作り離れまで建て増すとなると、なぜかあの番組を欠かさずに見ていた日々が想い出されてならない。ということで、「渡辺篤史の建もの探訪」よろしく、建ち上がった離れをご紹介させていただこう。番組における彼の決め台詞は余韻を響かせた「いいですねぇぇぇ…」だった。

ウッドデッキづたいに出入りする

 これまでウッドデッキが広がっていた一部を離れの敷地にあてた。そのためにも、そしてきちんとコンクリートで基礎を打ち込むためにも、ウッドデッキはいったん解体されなければならなかった。最後に復旧される際、ここで失われることとなったウッドデッキの面積は、新たに建ち上がった離れに沿う形で拡張した面積によって補われた。そして離れはこのウッドデッキづたいに出入りするようにこしらえられている。屋根を母屋と重なり合うように設計したので、雨や雪のときにも濡れることはない。白馬は豪雪地である。常に雪のことを考慮して建造物の素材を選ばなくてはいけない。それゆえ外壁には金属製サイディングをチョイスしたが、山の中の小さな離れ、せっかくだから山小屋風にしたいのも人情、なので室内は、天井、壁、床、すべて無垢の板張りにしてもらった。

庵の庵たるゆえんとしての離れ

 そもそも何故に離れを増築しなければならなかったのか。深川のマンションを引き払うにあたり、その荷物の行き先が必要だったからである。その荷物とはなんなのか。書斎の壁に並べられていた本でありCDであり机である。「隠居の庵」の眼目を成すものたちといって過言でなかろう。還暦を超えて断捨離することも考えないでもなかったが、その都度「う〜む」と唸りつつ少ししか手放すことができない。なのでこの際「断捨離しなくては」という強迫観念それ自体を「断捨離」することにした。そのときが来たら業者を呼んで一切合切を売っぱらってしまえばいい。しかし目の黒いうちは自分が集めた愛着あるものに囲まれて暮らしたい。よって収納力に長けた書斎を新たに作らなければならないのだ。離れの一階はまさしくその書斎である。深川から持ち込む机スペースを確保し、壁二面いっぱいの棚を大工さんにこしらえてもらった。

階段を上って屋根裏部屋へ

 離れは6畳間を重ねたような2階建て。しかし分をわきまえて、ゆったり解放感を満喫できる天井高にはしなかったがゆえ同じ2階建ての母屋に比べて背が低い。やはり板張りにしてもらった階段をつたって2階、つまりは屋根裏部屋に上ってみよう。「深川のマンションを引き払うにあたり、その荷物の行き先が必要だった」というとき、確かに重いものは本やCDだったかもしれないが、その一方で二人それぞれの衣服もなかなかに肝要な荷物ではあった。もともと散種荘は「別荘」として構想していたがゆえ衣服の収納力が決定的に乏しい。すなわち離れの2階はクローゼットルームなのである。そして肝心な役割がもうひとつ、そう、つれあいの作業スペースという役割があてがわれてもいる。

「鶴の恩返し」のごとく

 そのための専門学校を卒業してからというもの、つれあいは一貫してアパレル業界で仕事を続けてきた。そうして12年か13年前のことだったろうか、回り回って「よかったら機織り機(はたおりき)をもらってくれないか?」という話が舞い込んでくる。興味があって手に入れたのはいいが持て余してしまって引越しするタイミングで手放したいという方がいらして、「いいものだし引き取ってくれる人いない?」とまずはつれあいの友人に声がかかり、その友人から「こういう道具をあなたは上手く使いこなしそうだけどどう?」と話が振られてきた、そんな経緯だったと記憶する。家賃の割にだだっ広い仕事場を当時に借りていたこともあり、「将来の手慰みに」と貰い受けたのだった。さすがに「機織りの仕方を一から学んで使いこなす」なんて時間的余裕まで当時に持つことはなかったが、後に狭い仕事場に引越してもどうにか手元に残し、今こうしてようやくその「将来」を迎えた。先日につれあいは織物作家が講師を務める何回かのセミナーに参加し、一から学んですでに襟巻きをひとつ織り上げてもいる。離れの屋根裏部屋は、ミシン、編み物、機織り、手仕事の作業場。つまり、暮らしの場である母屋に対し離れはそれぞれにとっての趣味趣向の場、とまあそういうわけなのである。

恥ずかしながらライトアップ

 「困っていた」というほどではないが、不足を感じていることがひとつあった。道路に面した玄関口には街灯の灯りが届く上にポーチライトも点く。しかし裏手となる庭は夜になると漆黒に沈み何も見えなくなってしまう。獣の気配を察することもできないし、音もなく降る雪がどれくらい積もっているのかも見当がつかない。ここはどうにか対処する千載一遇のチャンス。離れの外壁に庭とウッドデッキを照らすライトを設置してもらうよう依頼していた。ウッドデッキで炭火焼きをする夏にだって遺憾無く威力を発揮するだろう。ウッドデッキの下にコードを潜ませるなど工夫して、スイッチを母屋に設置してもらったから、点灯消灯もこの上なく簡便だ。庭の楽しみ方がひとつ増えたこと、なんとも喜ばしい付録である。

庭がやっとのこと解放される

 午後にやって来たクリーニング屋さんはすでに仕事を終えて帰っていった。まず最初に両親の遺影と位牌の引越しだ。本棚の合間に作った仏壇スペースに落ち着かせた。気候がどれほどに変動するかは予断を許さないからすでにエアコンも前日に設置済み。一夜明ければストーブ屋さんがペレットストーブの設置にやってくる。「とんでもなく馬鹿なことをするに違いない」と予測した通り、米国のトランプ大統領とFIFAのジャン二・インティファーノ会長は二人して、W杯史上に残る恥ずべき汚点を大会にくっきりと刻んだ。その横で私たちは着々とここまで進めてきたのだ。庭で毎夏に目を楽しませてくれる野生種の桔梗が色づいた蕾をひとつパンパンに膨らませている。ペレットストーブが設置されている横で、きっと花を開かせるに違いない。

 工事はあらかた完了したので庭に敷き詰められていたブルーシートが撤去された。3ヶ月弱にわたり掘り起こされ、踏み固められ、シートを被せられていた土の上にもちろん緑はない。しかし夏に向かってあっという間に芽生えてくるだろう。庭の隅には工事の邪魔にならないよう麻布で枝をまとめていたカワラハンノキも育つ。つれあいが束縛を解き枝を四方に広げてやっている。そういえば「渡辺篤史の建もの探訪」における渡辺篤史にはこんな決め台詞もあった。「はぁ〜。深呼吸したくなるよね、この開放感!」それにつられて家主は我が家のことを雄弁に語り出す。これからしばらくは荷物の搬入だ。ようやく庵の引越しが完結する。ああ、もうすぐ隠居の身。そしてついさっき、この夏で初めてのひぐらしが鳴いた。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です