隠居たるもの、熱波に踊るサタデー・ナイト・フィーバー。気候変動に煽られどうにも暑い。とりわけても、人口減少の世を顧みることなく、能天気に緑地を潰しては鉄とコンクリートの高層建築をのべつまくなしせっせと建設し続け、あげくに風も通らなくなった東京の夏、耐え難く不快に暑い。もはや日々に通う勤め先も持たない身、生まれ育った土地ではあるが、夏はなるたけ遠ざかるよう気を配る。とはいえ暮らしの基盤を整える定例の仕事やもろもろ浮世の義理などあるわけで、それら一切合切かたづけるため、ひと月のうち一週間ほどは東京に腰を落ち着ける。ならばと大都市特有の娯楽を散りばめつつ、2023年7月18日から25日までの7泊8日を、私たちはその期間に充てた。

2023年7月22日 渋谷duo MUSIC EXCHANGE で Sparks

3連休のど真ん中、7月16日の日曜日に帰京する予定でいた。しかし新たな熱波がその日に舞い降りて、向こう3日間、東京の気温はピークで38℃に至るという。到底その渦中に戻る気力が湧かず日取りを変更、どうにも不義理ができない18日火曜日にギリギリ帰京することにした。その日こそ36℃と身構えたが、幸い19日から酷暑はいったん収まる。お金を出納し、3つの寄り合いに顔を出し、その延長でひとつの宴席を楽しみ、そして週末を迎える。7月22日土曜日、大学文学部の友だちと連れだって、私たち夫婦は渋谷duo MUSIC EXCHANGEというライブハウスに、Sparksというアメリカのバンドを観に行くことにしていた。

道玄坂から百軒店の急な上り坂に折れると、タンクトップ一枚に裾が潔く広いホットパンツを穿いた20代前半と思しき女の子が、大きな声で連れとはしゃぎながら左右にフラフラと狭い道を塞ぐ。脱色した髪にこんがりと焼けた四肢、そのうち右上腕と左脚腿に刺青が入っている。「この子、ラリってる?」渋谷のこんな界隈に足を踏み入れるのは久しぶりで、人を見かけで判断してはいけないと自戒しつつも、なかなか警戒心を解くことができない。そもそも目的の800人収容のライブハウスがあるあたりは、今でこそエンターテイメント施設が並ぶ「ストリート」となっているものの、連れ込みホテル街 円山町のすぐ隣、かつては猥雑でいかがわしい街だった(今も「健全」からはほど遠い)。ここで、1970年にロンとラッセルのメイル兄弟がロサンゼルスで結成し、それぞれ77歳と74歳となった今も活動を続けるSparksがライブをするというのである。

終演後に彼らがステージから撮影、残念ながら私たち夫婦を判別することはできない。

気がつけば夏休み最初の土曜日

稀有なバンドである。誰もが知っているヒット曲などないのに半世紀以上も続いている(そもそもこのバンドを知っている人の方が少ない)。しかし、この歳になって発表された新曲もイカしていて、セットリストもニューアルバムからの曲が中心だった(通常、キャリアが長いミュージシャンのセットリストというのは、懐メロコンサートよろしく昔の曲を並べたてて構成され、申し訳程度に挿入される新曲はたいがいつまらない)。そして、ふつう兄弟バンドというのは途中で抜き差しならない喧嘩を始めて空中分解するものだが、彼らはいつまでたっても仲がいい。終演後、会場の外で落ち合った友だちと、混み合う雑踏を抜け、井の頭線を越え、いくらか静かになったあたりのトルコ料理屋に落ち着く。しかし週末とはいえ、どうしてこうも人が多いのか、しかも若い者はみなどこか浮かれている。かつては若かった3人も食事をしているうちに「ははあ」とようやく気づく。夏休みが始まったのだ。

「ああ、枯れたくないなあ」

「素晴らしかった。70過ぎてんだよ?あんな風に歳を取りたいなぁ、ああ、枯れたくないなぁ」と友だちは感嘆する。今もSparksは若々しい。なぜなら実験精神に基づく音楽的冒険こそが彼らにとっては重要で、自らを踏襲することを忌み嫌い変化し続けてきたからこそに違いない(それでいていつだってお茶目なSparksにしか聴こえないのがこれまた凄い)。逆にときおり「枯れたいねぇ」と口にする私の真意は、「現状維持に執着し浅ましくもところかまわず欲望の腐臭を垂れ流す方々には虫唾が走る、ああはなりたくない」、つまりはそこにある。正反対の言葉を使っていても、おそらく私たちはお互い「軽やかでいたい」と語り合っているのだと思う。

ケイト・ブランシェットと怪物ハーランド

Sparksの新曲「The Girl Is Crying In Her Latte 」のビデオには世界的大女優ケイト・ブランシェットがゲスト出演している。先ごろイギリスで開催されたグラストンベリー・フェスティバルでバンドが演奏した際、なんと彼女がビデオでの衣装そのままにステージに現れ、キッレキレのダンスを披露し観客を熱狂させた。それを知る私たちは、ライブ前日に「まさか彼女まで来ることはなかろうが、日本の女優を使って再現してみせるかも、ならば誰?」と勝手に盛り上がった。しかし当然のこと誰も登場しなかった。結局「ケイト・ブランシェットの代わりができる人なんて世界中探したってケイト・ブランシェットの他にいない」という結論に至る。77歳と74歳が新しく作ったカッコいい曲に合わせ、シャレのわかる54歳の大女優が踊る。なんとも軽やかだ。

そして「他にいない」といえば怪物ハーランド。翌7月23日の国立競技場は、サックスブルーのレプリカユニフォームを着用した子どもたちで溢れていた。ヨーロッパチャンピオン、イングランドのマンチェスターシティが来日し、横浜マリノスと対戦する。先方のシーズンオフを利用した親善試合みたいなものだから、真剣勝負は期待していないが「怪物たる所以」を少しでも目撃したい。

身長194cmのセンターフォワードは、えげつなくキュッと割って入る動きを常に狙っていて、それが鋭くて強くて早い。しかしそればかりに気を取られていると、視界から外れた大外から突如として現れる。後半だけ出てきてそんなに簡単ではないはずのゴールをいとも簡単にふたつ決めた。2000年生まれのノルウェーの怪物のポテンシャルをこの目にしかと焼きつけ、メッシとロナウドとネイマールの時代が先のW杯で終わったことを実感し、心置きなく一週間の東京滞在予定を終える。白馬に旅立つ前に降圧剤をもらいにかかりつけの医院に立ち寄ると、「今日は9人です」その日に新型コロナと診断した患者を数えて、先生はそうぼやいておられた。

山百合の留守番

またしても熱波に覆われ始めた東京を抜け出し、白馬に向かう特急あずさの中で、筒井康隆が66歳のときに書いた「敵」という小説を読み終えた。帯に「極北の老人文学。」とある通り、安易に「枯淡」に逃げることなく「老い」の悲哀と等身大で葛藤した傑作だ。ともにSparksを観た、映画監督を生業とする友だちの、公開が待たれる最新作の原作である。陽が落ちた白馬の空気はヒヤッとし始めていた。散種荘の庭では山百合がオレンジの蕾をパンパンに膨らませている。私たちの到着を待っていてくれたのだろう。ああ、もうすぐ隠居の身。一夜明けるとハラリと見事に花が開いた。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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