隠居たるもの、踊らない幼な子に目尻を下げる。JR代々木駅の西口から徒歩30秒、横断歩道を渡った向こうに山水楼という店がある。町中華と呼ぶにはいささか本格的で、それでは高級中華かというと肩肘張らず庶民的、一昨年6月に89歳で亡くなった、大学の大先輩ゆかりの店だ。忘れてはならないことを丹念に拾い上げる歴史学者だった。2023年10月20日午後6時、大学の先輩たちとこの山水楼で落ち合う約束をしていた。最年長が83歳で、最年少は59歳の私、同窓会の係を担っている面々だ。自ずと雑用一般を私が引き受けることになるのだが、すでに先輩たちが数人、私が予約した2階席に到着されたようだ。それぞれに一家言を持ち、そうそう簡単に「躍らされない男」たちによる侃侃諤諤の夜が始まる。紹興酒も飲むだろう。しかし私はほどほどにしておかないといけない。翌朝にメロン坊やの運動会を控えているからだ。

10月後半にして熱中症の心配をしつつ

2023年10月21日土曜日、朝から気持ちのよい晴れ。子供を授からなかった私たち夫婦にとっては40数年ぶりの運動会である。しかしメロン坊やからすると人生初めて。昨晩に私がニラレバ炒めを食していた時分、姪孫はいささか緊張した面持ちをしていたという。だからか、第一種目の徒競走においてはスタートに失敗、残念なんことブービー賞にとどまった。しかしメインは彼らにとっての第二種目、クラス全員で踊るダンスであろうから、遠目にも本人に気落ちしている様子は一切うかがえないことだし、陽射しにさらされながら私たちはそれを楽しみに待っていた。

ピチ プチ フレッシュレモン

レモンとライムをイメージしたというポンポンを両手に、「ピチ プチ フレッシュレモン」と紹介された曲に合わせて子どもたちが踊る。笑顔が弾ける子もいる。ところがどうだ、うちのメロンはつまらなそうに眉間に皺を寄せ、ろくすっぽ踊りもしない。ときおり保母さんが近づいて振りつけを思い出させ踊らせようとするのだが、申し訳程度にしか反応しない。しかし、緊張のあまりに振りつけを忘れてしまったわけではおそらくない。実はこの子、なんというか、納得できないまま無闇に同調することをしないのだ。

*あまりに正面からなので、幼な子の顔には手書きで加工を施しています。

彼は「大人から可愛らしい子どもとして振る舞うよう強要される」ことに敏感だ。お遊戯会の類でもそうなのだが、「大向こう」を喜ばせるために「言われたとおりに演技する」ことをかたくなに拒否する。もちろん子どもだから、自分が楽しくそうしたいときは「これぞ子ども」という具合に誠に愛らしい。しかし「幼な子の可愛さを搾取せんとする大人の魂胆」が根底にあるとき、それを鋭く見抜き毅然として応じない。恐るべき洞察力にして強固な意志。まだ4歳であるから持って生まれたものに違いないが、大叔父から日々に受ける薫陶がその才能を伸ばしているとも思いたい。「踊らされない男」、頼もしいかぎりである。そのうち「ピチ プチ フレッシュレモン」のダンスはジャンプのパートに移る。飛び跳ねることが好きなメロンの表情が、ピョンピョンしているうちにみるみるとにこやかになった。

うちの血筋だな

昼日中から、メロン坊やの父方のおじいちゃんと並んで日本酒を酌み交わしていた。なんというかひと癖あって面白い人なのだ。姪夫婦が見つけた蕎麦屋で、一族郎党総勢6人で食事をしている。息子が幼な子だったころの運動会を知るおじいちゃんは、「今どきの保育園の運動会はちゃんとしてる」と感心しきり。「それにしてもこの子は『躍らされない』ですよね」と私が指摘すると、「くっくっ、うちの血筋だな」と破顔一笑する。運動会は最後、年長の子が数人並んで前に出て「みなさんの応援があったからこうして運動会ができました。ありがとうございました」と声を合わせ、保護者を感涙させて幕を閉じた。人生初の運動会を終え、というか年長さんたちに主役が移った後半、ずっとグラウンドをかけずり回って遊んでいたメロン坊やは少々お疲れ気味だ。もしこの子が年長になったとき、「最後の挨拶を」と打診されたとしても、おそらく眉間に皺を寄せ即座に『いやだ』と断るだろう。おじいちゃんと大叔父はそのエピソードを聞いたとして、「くっくっ」とほくそ笑むに違いない。

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店一番のヴィンテージワインを

明けて10月22日日曜日「さて買い物にでも出かけようか」と腰を上げた午前中、アラエイ(アラウンドエイティ、つまり80歳凸凹の意。しかし私たち60歳凸凹のことを「還暦」からとって「アラカン」と呼ぶのだから、「傘寿」からとって「アラサン」という方が正しくないか?でもそうすると「アラウンド3歳」との判別もむずかしい、うーん…。とどのつまり、どうでもいいということだ)の、山水楼の宴には参加されていなかった大学先輩から「4時から研修会をするんで来なさい」と電話がかかる。つまり「4時から飲むんで来い」とお声がけいただいたのだ。お声がけくださった先輩と席を同じくするのも新型コロナ禍をはさんでかれこれ4年ぶり。夕食の食材を求めて買い物をしている場合ではない、喜び勇んで3連チャンに挑むことにした。

私たちが「研修会」と名乗る以上、高田馬場が会場となるのは当然であろう。「午後4時からって早くない?」と訝しむ向きもあろうが、遅い時間まで起きていられないアラエイの先輩たちは、早く始めて早く終わるのである。「せっかくだからな、今日は店でいちばん高価なヴィンテージワインを注文することを許す」、先輩たちは後輩にとても優しく太っ腹である。呼び出された店とは、駅横ビッグボックス最上階の9階、名門イタリアン「サイゼリヤ」。しかしこの先輩たち、ふたまわり近く下の後輩の話を「面白い、面白い」と喜んで聞いてくださる。ヴィンテージワインも飲み尽くしたので、高田馬場の必殺フルコース、私たちはさかえ通りの清龍に2次会に繰り出した。お開きとなったのは午後8時半ごろのことだが、ここには一貫して我々独特のグルーヴがあった。

歴史学者の憤怒

あれは先輩が亡くなる1年半くらい前、呑気にも新型コロナを海の向こうのことと捉えていた2020年初頭のことだったろうか。お元気なうちにお話を聞いておこうと何人かでお宅にお邪魔したことがある。「時務の研究者」と呼ばれた歴史学者 姜徳相先輩は、嘘をついて人を「踊らせようとする」者たちへの憤怒を隠そうとしなかった。言葉を堕落させ歴史をないがしろにしてつくその嘘が、あまりに稚拙なトリックであることを心底から悲しんでおられた。ひとしきりお話しした後、「ここでみんなで食事をしたいところだけれどね、年老いた私たち夫婦には負担なんだ。山水楼に寄って食事をしてから帰りなさい」と私たちを送り出してくれた。考えてみれば、それが最後に交わした会話になろうか。私が学生のころ、「酸辣湯麺が美味しいんだ」と勧めてくれたことを想い出す。私たちは「躍らされない」よう、世代を越えて、教え教えられ、今もこうやって過ごしている。ああ、もうすぐ隠居の身。「躍らされない男」たちは洞察の果てに自分のリズムで踊る。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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