隠居たるもの、心の底から名残を惜しむ。愛してやまなかった近所の名店、魚処 若松がこの4月で店を閉めてしまう。年が明けてからこの3月まで、若松は緊急事態宣言に伴う時短要請に応じる形で店を休んでいた。4月になって3ヶ月ぶりに開けたとかと思えば「今月いっぱいで閉めることにしました」といきなりいう。誰しも「え?新型コロナのせいで?」とまずは驚く。緊急事態宣言に対する協力補償金は4月になった今でも振り込まれていないそうだが、「ハハ、違います」から続く話をよくよく聞くと、プライベートな状況の変化や様々な事情も絡みあって、50代の夫婦が将来のあれもこれもを並べ立てて決断したという。転機に際して重大な決断を下した者のみがまとう爽やかさ、そんなものを醸し出す大将、祝福しつつも私たちは寂しさを噛み締める。

魚処 若松 の奇跡 その1

大将によると開店してから16年になるという。私たちが若松の客となったのはいつのことだろう。写真ライブラリを遡ってみると、若松で撮影した最も古い写真の日付は2013年4月20日だった。正確にその日が初訪だったかはいざ知らず、8年もしくは9年かそこら、確かにそんなあたりだろうと思う。私たちの外食が「外の街」から徒歩圏「近所」にシフト移行した頃だ。表からは店の中の様子が見えなくて、どうしたものかと思案しながら恐る恐る戸を開いたことを思い出す。

看板メニュー いさきの炙り刺(2013年4月20日撮影)

魚処なのだからと最初に注文した刺身があまりにも美味しくて、「ちょっと待て!」というくらいに驚いた。のってる脂は適度でなければならないし、刺身なんだもの、なにしろさっぱりしてなくちゃいけない。親しくなって聞いてみると、大将は近所の鮮魚店の息子で、生粋の深川っ子なんだという。なるほど、子供のころから鍛えられた「目利き」というわけだ。この店でお品書きを見ることはあまりなく、「今日は刺身なにがいいの?今日の焼き魚はなにがある?」と大将におうかがいを立てるのが常だった。そういえば、看板メニュー「いさきの炙りはある?」と注文したら「ごめん、今日はいいのがなくなっちゃった」と一旦は断られたものの、「連絡してみたら実家にあるっていうから、ちょっと待ってもらってもいい?」ということもあったっけ。

関いさき(2021年4月6日撮影)

魚処 若松 の奇跡 その2

そして大将は料理人として腕がいい。しかも釣り人なので、仲間から提供された釣果のご相伴に預かることもある。彼の料理に「これはそんなでもないな」という感想を抱いた記憶がない。焼き魚や竜田揚げのほっくり具合は常に最高だった。だから魚が食べたいときは迷わずにここに来た。そういえばこんなこともあった。「この人が作るまかないのシーフードピザが美味しいんですよ」と西城秀樹が好きだった女将さんが言う。「じゃあ、それ食べさせてよ」と頼むのだが、「そこらへんのスーパーで売ってるピザ生地で、しかもフラインパンで焼いているんだから」と少し尻込みをする。「いいから、いいから」と押し切ると、イカがたっぷりのったバジルソース仕立てのピザが供される。これをお客さんに食べさせないのは犯罪である。私たちの熱い訴えによって、フライパンで焼いたシーフードピザはメニューに加わることになった。女将さんによると、彼が焼くサーロインステーキも美味しいのだという。残念なことにそれを食したことはまだない。

シーフードピザ(2021年4月16日撮影)

魚処 若松 の奇跡 その3

さらにこの店は「最後の砦」になってくれる。どういうことかというと、どこかから2人そろっての帰りがけ、どこぞの店にふらっと入って食事を済ませようと目論んだとする。駅から行きつけの店に順番にあたってみるのだけれど、どこもにぎにぎしく空きがない。その日が一般的なボーナス支給日であることにはたと気づく。「こりゃあ参った」とほぞを噛む。「こうなったら最後の砦 若松にかける」とつれあいに促される。若松はそういう時も大体は常と変わらず静かに迎え入れてくれ、そして不変のカタルシスを与えてくれた。常日頃から「商売っ気」がなく、付和雷同型のお客さんを呼び込むつもりがそもそもないから、こうした日だってマイペースなのだ。「また店をやりたくなったら、どこかを居抜きで借りますよ」先日、大将がそう言うから「やるにしても道楽みたいにしてやった方が、確かにこれからは気楽でいいやな」と応じると、「今までだって道楽みたいなもんでしたけど」と笑う。この野郎、とうとう白状しやがったな。やっぱりそうだったのか。

旬魚の竜田揚げ(2021年4月16日撮影)

魚処 若松 の奇跡 その4

「道楽者」っていうのは自分の審美眼にかなわず、なおかつ道理に合わないものを嫌う。「このあたりの相場からすると勘定が高いよ」という人たちがいた。確かにいくらか高い。そりゃあそうだろうって、大将の審美眼にかなった、このあたりの相場からかけ離れた魚しか出していないんだもの。その上で、中央区や港区に数あるこけおどしの店からすればずっと安かった。このスタンスが私たちには好ましかった。だから、心から残念に思う。閉めると決めたのに1ヶ月だけ店を再開するのは、このままやめてしまってはお世話になったお客さんに失礼だと考えたからだそうで、密にならないよう4月中は予約のみ。私たちもあと1度くらいは足を向けようかと考えている。大将によると「建て替える家のキッチンは大きくしてるんですよ。ホームパーティーとかご招待することもあるかも」同年代で近所のよしみじゃないか、ここまでヨイショしてるんだからその際はぜひご招待いただきたい。ああ、もうすぐ隠居の身。歩いてすぐのところにこんな店があるのはまさしく奇跡だった。

2021年4月16日撮影
投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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