隠居たるもの、やはりこの日にうなぎを食す。今日、贅沢な食事といえばうなぎにとどめを刺す。ここまで高騰すると、もはや滅多やたらに口にできるような代物ではない。なのになぜこの日にうなぎを食すと決めているのか。それは、この日がつれあいの誕生日、つまり特別な日だからである。ほぼぴったり1年前、「うなぎを食べて考えた」(https://inkyo-soon.com/about-eel/)という段において省察したように、うなぎを口にするのは1年のうち概(おおむ)ねこの一度きり、それも思い切って老舗高級店の暖簾をくぐって、と決めた。「概ね」と前置きが入るのは、宝くじなどが当たった場合や宝くじが当たったのに匹敵するほどのふって湧いた実入りがあった場合、はたまたありがたいことに「ご馳走しようじゃないの」という奇特な御仁が現れた場合、そんな機会があることを排除していないからだ。しかし、この1年にそんなことが訪れたことは案の定なかったから、うなぎを食べるのは本当にぴったり1年ぶりのことであった。
今年も創業200年「鰻 駒形 前川」新丸の内ビル店に足を運ぶ
昨年同様、今年も「お誕生日興行」はここにした。生ビールを一杯ずつ注文し、サイドメニューやうな重のグレードについて家族会議を開く。昼食ということもあるし、うまきなどの副菜は頼まないことにし、その代わりに、今日は特別な一年に一度きりの特別な日だもの、うな重のグレードを「特上」と奮発した。うなぎのさらなる高騰と消費税率の引き上げ、さすがの前川もこの1年の間に値上げをしたようだ。ちょっと豪華な「ディナー」くらいの掛かりとなる。そうとなると早々に食べ終えてしまうのが惜しく思われ、そんなことを語らいながらゆっくりと箸を進め始めるのだが、気がつくと2人とも黙ってせっせと口に運んでいる。美味しい、ふっくらして本当に美味しい。うなぎそのものを引き立てる江戸前の職人の技なのだろう。これぞ本寸法、うっとりと満ち足りる。ここまで美味しいと、そうさな、来年まで耐えられる。
鰻の幇間
古典落語に「鰻の幇間(ほうかん)」という噺がある。暇を持て余してぶらついていた太鼓持ちが、旦那然とした人に鰻屋に誘われ、欲の皮をつっぱらかしてパーパーとヨイショするのだが、最後には勘定を押しつけられて逃げられる、という滑稽噺だ。やはり鰻屋にはいるのである、お金持ちそうな旦那と太鼓持ちが。ここは東京駅のお膝元、すだれ一枚を隔てた隣のテーブルに先から陣取っておられたのは、おそらく東海道線に乗ってこちらにやって来たと思しき湘南の土地持ちの紳士。いかにもという穏やかな声で聞かれるまま海辺の不動産の話をしておられる。対面には昼日中から冷酒のガラス徳利を持って大きくガサツな声でヨイショするトランプ米国大統領を尊敬してそうな男。私たちが食べ終えて席を立つころになってようやくうな重を注文されていたが、世情に逆行した無防備さも含めて、まるで違う世界からひょっこり現れたようで少し笑ってしまった。さすが江戸の世から続く鰻屋、有象無象を戯画化する。
誕生日だから考えたこともある
昨年、私が55歳になろうとするころ、私たちは暗黙の了解事項をわざわざ顕在化させ、あらためて自明な合意を形成した。「誕生日のプレゼントは必須にあらず」と。「これがいいだろう」といち早く思い浮かぶ時は良いのだが、そうでなければ気がせくばかり。必要なものはそれぞれ各自が自分で購入するし、あてもないところをめくら滅法に探す労力と時間、加えて精神的負担は馬鹿にならない。年に一回とはいえこれからまだまだ続くのだから、「これ」というものが思い浮かぶ時は用意するとして、そうでない時はお互い義務にかられて探すのをやめてもいい、つまり無くてもいいことにした。「気にしない」と腹を決めてしまうと、本当に気にならないものだ。加えて、あくまでも「いいものを見つけたら」という前提に立って、食卓周りで日常的に共用する食器やらカトラリーやらを記念品として代用することも可とした。今回はその条項を行使し、うなぎを食すついでに隣の丸ビルはコンランショップでナイフとフォークを2セット新調した。そして、これは山の家プロジェクトの一環でもあるのだ。山の家で使う脚立や小物やらをぶらぶらと物色しサイズ感を確かめた。あした私は旅に出ます、ひとつ齢(よわい)を重ねたつれあいとふたりで。ああ、もうすぐ隠居の身。そう、あずさ13号で夏の盛りの信濃路へ。