隠居たるもの、「全く別の地平から見てきた言葉」に耳を貸す。10年に一度の大寒波が去った、2023年1月も末のある土曜日のこと。雪はすっかりやんで穏やかな天候、さぞや素敵なコンディションであろうと想像するも、だからこそスキー場には人がわらわら集うだろうと判断して家に居座り、例えばウッドデッキの雪かきとか、はたまた庭の幼い紅葉を雪の重みから守るための冬囲いの締め直しとか、降雪の合間にやっておくべき諸事を片づけた。労働の合間に散歩がてら山を下り、酵母日記で明日からのパンを買い、昼食に白馬飯店で五目あんかけラーメンを食し、食後のコーヒーをいただきにSATORU COFFEEに足を向ける。今は12時54分、「本日の開店は13時です」と札が下がった店内に人の気配はない。どうやら店主のSATORUは、新しい雪に誘われて、急遽この朝どこかに滑りに行ったに違いない。

エアチケットが高すぎて、少しは躊躇するらしい

店の外で少し待ち、申し訳なさそうにはにかんで店を開けた彼にコーヒーを淹れてもらう。惚れ込んで移住しここに暮らす人が白馬には少なからずいるが、彼もそのうちの一人だ。私たち夫婦が通りすがりの「観光客」でないことをこのところ認識してくれたようで、気さくに世間話を交わす。「僕も基本は土日には滑らないんですけどね。1月は雪が少なかったでしょう、そこで雪が降ったばかりの今日のスキー場はね、まあ、いくら日本のスキー・スノーボード人口が減ったとはいってもそれはそれでまだまだいるんでね、あちこちから続々と車が押し寄せている感じでしたよ。うん、ずいぶんとオーストラリアからのお客さんも戻りましたけどね、どうだろう、コロナ以前の半分から7割ってところかなあ。燃料が今は高いでしょう、オーストラリアからのエアチケット(航空券)がすごく高くなっちゃって、円安だからっておいそれと簡単に来れないみたいですよ。」

https://antenna-hakuba.com/introduce/satoru-coffee/

バックカントリーはやらない

そういえばSATORU COFFEEでそんな世間話をした翌日の日曜日、私たちはやはりスキー場の混雑を避けて、食材の買い物やら、こちらのセブンイレブンにタワーレコードから送ってもらったアル・グリーンのベスト盤のピックアップやら、雑多な日常業務をこなしつつ過ごした。夕方を過ぎてビールを飲み始めたころのこと、ある先輩から「大丈夫?」と安否を気遣うご連絡をいただく。訝しんで「なにかあったのか?」と調べると、白馬乗鞍温泉スキー場付近で雪崩遭難事故があった由。長らくまともに降らなかった影響で雪面が固くなっていたところに、軽く柔らかい雪がどっさり降ったものだから、雪崩が起きやすくなっているのではないかと思ってはいた。「大丈夫です。私たちはバックカントリーをやらないですし。」と返信する。バックカントリーとは、スキー場が管理していない野面の山を滑ることを指すのだが、この日、日本各地でバックカントリーをする人たちの遭難事故が相次いだ。

結局のところ乗鞍の雪崩遭難事故で、アメリカ人(プロスキーヤーだったそうだ)とオーストラリア人の2人が亡くなった。インスタやらYouTubeやらで発信する動画を撮影していたのでは、という話もある。私のカテゴライズでは、バックカントリーはスポーツでもなければレジャーでもなく、怖いもの知らずが挑む「冒険」の範疇に属するもので、もはや日々にゲレンデで滑ること自体がゾクゾクする「冒険」に違いない初老にさしかかった私には果てしなく荷が重く、「年寄りの冷や水」を試みる余地なぞどこを探してもない。乗鞍のレスキューの方が言っていた。「結果として残念ながら亡くなってしまいましたが、しかし外国人でバックカントリーをする方々は、いざという時にどうしたらいいか初期の動き方を訓練している人が多い。そういうことを学習しないまま平気でロープの向こうの山に入る日本人の方が実は怖いのかもしれません。」一事が万事、たしかにそういう気がしないでもない。

「食べるものを生産する人と仲良くしといた方がいい」

いつもお願いしている白馬ファーム(株)の武田社長が、発注した250kgの薪を運んできてくださって、いつもと変わらずエネルギッシュに一気に捲し立てる。「東京の方が寒いよ!」どうも大寒波の最中に東京出張に出かけていたらしい。社長は信州の農業界では大立者だ。各県の代表が顔をそろえてあれやこれやを話し合う会合が東京であったらしい。「新築のマンション買うのに1億近くするんだってな!もう人が住むところじゃあないな、あそこは。それにさ、仕事していて楽しそうじゃないんだよ、誰もがさ!」そういえば、白馬でつまらなさそうに仕事をしている人を見た憶えがない。だいたいからして、雪が良さそうだからと店の開店時間を急遽13時に変更することを迷わない人たちだ。「それとね、会合ではこんなことがあった。十勝の酪農業者がたくさん廃業することになってね、たとえば産まれる子牛一頭を500円で引き取ってくれるところはないかって言うんだよ。戦争だのなんだのでさ、飼料が高くなって立ち行かなくなったんだな。だけど500円で引き取ったところで、そのあとの飼料代を考えちゃうから引き取り手もいない。鳥インフルエンザだって今とんでもないことになってるぞ。食糧自給をないがしろにしてきたツケがいよいよ回ってきたのかもしれないな。だからさ、食べるものを生産する人と仲良くしといた方がいい。なにも生産しろとは言わないけど、いざというとき頼れる人がいないと大変になる。だから東京じゃなぁ…。そう、あんたたちは俺みたいのと仲良くしておけばいいのさ。」

書き出しに拝借した「全く別の地平から見てきた言葉」とは、当時の丸山珠代オリンピック担当大臣が「尾身茂新型コロナウイルス感染症対策分科会会長の『水を差す』発言は、まったくもって私の耳には入らない」と表明するために用いた、さすが「愚か者めが!」でお馴染みの彼女らしい不遜な言い回しだ。しかしだ。ああ、もうすぐ隠居の身。「全く別の地平から見てきた言葉」に真実が潜んでいることはめずらしいことではない。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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