隠居たるもの、顔を思い浮かべて手帳に記す。秋も深まる2022年10月26日である。「今年は忘年会どうする?」あちらこちらからそんな連絡が舞い込む今日この頃である。「よし、やろうじゃないか!」と意を決し、「はてさてこのメンバーで集うのは何年ぶりになるんだい?」と確認すると3年ぶりだったりする。「はあ、もうそんなになるかねぇ…」などとぼやきつつ日程調整のやりとりと呼びかけが始まるわけだが、ここにひとつ、難題が横たわる。サッカーW杯だ。今回のカタール大会は、中東の夏の暑熱を避けるため、通常の6月から7月ではなく、11月21日から12月19日に開催される。全64試合を観戦することを習慣にしている私は、当然のことこの間は忙しい。なんとも悩ましい。しかしどうしたことだろう、ひと月を切ったというのに、気がついてみるとW杯が一向に盛り上がっていない…。
「それにしても盛り上がってないすよね」
10月24日、私は日本橋のKIZU カイロプラクティック ANNEXに出向き、月に一度の身体のメンテナンス、担当のコンドーくんにポキポキやってもらっていた。彼もフットボーラーなんもんだから(私の出身校サッカー部の顧問の先生と接点すら持っている)、「んっ」という吐息混じりの世間話は自ずとサッカーの話になる。例えば「かわいそうだけど今の日本のフォーメーションでは古橋は生きないね」とか「メンバー発表もまだですよね?いつなんですかね」とか「吉田麻也じゃなくてキャプテンは遠藤航でいいんじゃないか?」等々。ひとしきりそんな話をした後に、ほぼ同時に出た言葉が「それにしても盛り上がってないすよね、どうしてなんですかね」…
グループリーグが大詰めを迎えているヨーロッパチャンピオンズリーグ、WOWOWが中継してくれるから熱心に観戦しているのだが、なんか本場でも盛り上がっている感じがしない。ヨーロッパのサッカーシーズンは8月末から5月半ば、これまではシーズン終了後に各国の代表チームが合宿を経て6月に本大会を迎えていた。それがだ、今回はシーズン途中11月上旬から12月下旬にかけてひと月半ほどの中断期間を無理やりこしらえて、その間にそそくさとW杯を開催しようとしているものだから、例えばチャンピオンズリーグも通常より1ヶ月半ほど前倒しで進行されているし、各国のリーグ戦も過密な日程にならざるを得ない。中東で開催するからには致し方ないのだろうが、疲れがたまってかシーズン早々に大きな怪我を負い、W杯が絶望的になってしまった期待の若手も多い。だからか、選手たちがなんか面倒臭そうでパフォーマンスが上がらない。しかし、普段はサッカーを観ない人たちが話題にするからこそW杯は盛り上がるわけで、主な理由はどうやらここにない。はたと気がついた…。
10月24日、「逸材」がとうとう辞任
10月24日の晩、山際大志郎 経済再生担当大臣が辞任した。彼は「あなたたちの報道によると、私が旧統一教会の行事に出席し挨拶し韓鶴子総裁と会ったことは事実と考えられるが、どうにも私にその記憶はない」、事実が明るみに出るたび公然とそう語り続け、その程度の記憶力で国会議員になれること、その果てに大臣にまで昇り詰めることができること(さすがに務めることまでは難しかったようだが)、少年少女にそんな夢を与えてくれた稀にみる「逸材」であった。元獣医である彼の職務は他に、スタートアップ担当大臣、新しい資本主義担当大臣、新型コロナ対策・健康危機管理担当大臣、全世代型社会保障改革担当大臣、内閣府特命担当大臣(経済財政政策)と超過密だ。かえすがえすもあの程度の記憶力でキャリアとも関連づかないこれだけの仕事を任せられるなんて…、まさしく「逸材」である。つまり、これまでのW杯直前なら「久保建英2アシスト!W杯に猛アピール!」なんてニュースが躍るところだが、山際前大臣のあまりの「逸材」ぶりが、世間の耳目を否応なく吸い寄せ独占してしまったのである。
イングランドの初戦は対イラン
W杯は11月21日開催国カタール対エクアドルで幕を開ける。続く試合はグループB イングランド対イランである。サッカーの母国イングランドは日本よりはいくらかソワソワしているかもしれないが、ご存知の通りそれどころではない。BBCはトラス前首相退陣に際し「保守党の党首選を勝ち抜いた公約をひっさげて現実世界にさらしたとたん、あっという間に崩壊した」と報道していたが、サッチャー以来40年に及んだ「金持ちの税金を下げて、金持ちがお金をたくさん使えば、とどのつまりは下々にもお金が行き届く」というトリクルダウン理論はもはや破綻した「おとぎ話」でしかない、そういうことだろうか。それに対戦相手のイランは、ウクライナを攻撃している自爆型無人航空機(ドローン)をロシアに供与しているのではないかと疑われている。そう、理不尽な戦争が行われているまさにその横でW杯は開催されるのだ。イランはアメリカともグループを同じくしており、対戦するのは日本時間11月30日午前4時である。開催地は中東、無事に済むか心配はつきない。
最も甘美な単語、それはW杯
うつ伏せになって背中をグイグイ指圧してもらっていた私は、「それにしても盛り上がってないすよね、どうしてなんですかね」というコンドーくんの問いかけにうまく答えることができなかった。省察を経た今ならこう返す。「どこもかしこもW杯だからといって能天気に盛り上がってなどいられないからだな」。インフレだって起きているのだ。盛り上がるどころか、カタールの人権状況に照らし合わせて今回のW杯をボイコットする動きもヨーロッパ各地で続いている。前回2018年のW杯の開催国はどこだったろうか。ロシアである。大会を終えてからたった3年と7ヶ月で彼の国は侵略戦争を始めた。国際サッカー連盟FIFAは、中東の国カタールで実績を作った後、満を持して近い将来に中国で開催しようと考えていたことと思う。しかしお金に目がくらみがちな彼らといえども、プーチンの狂気を目の当たりにした今、強権体制を固めた習近平になびくわけにもいくまい。そしてW杯は次回2026年アメリカ・メキシコ・カナダ3カ国共催大会から、出場国が32カ国から48カ国に水増しされる。オイルマネーやらチャイニーズマネーやらを引き込みたいからだろう。放映権料は上がるが、プレーレベルは間違いなく落ちる。テレビの普及とペレの登場から50年余に及んで熱狂を提供し続けた美しいW杯、そろそろ潮時なのかもしれない。とはいえだ、私は忘年会の間を縫って今大会も全試合を観るだろう、これから各チームの研究を始めよう。ああ、もうすぐ隠居の身。私の優勝予想はたいがい当たる。