隠居たるもの、若い者をつれてひとくさり。ヴェネツィア・ビエンナーレを観るために、後輩がもうひとりたまたま具合よくロンドンからやって来た。ヴェネツィア留学中の後輩と同じ学部の同級生。驚くほどの低料金で学生はEU内を移動できるそうで、留学中の同級生が各地に散らばる彼らは、お互いを頼りながらその特権を謳歌して、かつかつの生活をしながらも往来し見聞と交流を蓄積していた。
お伴をつれてヴェネツィア・ビエンナーレ
そんな頼りになるふたりをお伴に、ビエンナーレに2日間おもむいた。1895年に世界に先駆け始めた、2年に一度の国際美術展・現代アートの祭典である。会場はヴェネツィアの東のはずれにある市立公園(ジャルディーニ)と国営造船所(アルセナーレ)の2箇所。国ごとのパビリオンや展示場が立ち並び、いまだトロフィーをかけて競う形式のため、国の財力や政治力が介入する余地が残っているとの批判も今日では多く、歴史的使命は終わったという人もいる。しかし、「優劣」に興味はなかったし、刺激的な作品に触れたかっただけだし、都市開催でありながら2日かけても見きれなかったその規模に満足した。とりわけても、女性なのにアルバイトでクラブの用心棒をしていたこともあるアンネ・イムホフが、野蛮な人間存在を隠すことなく荒々しいパフォーマンスで提示したドイツ館の作品にはかき乱された。聞くところによると、このドイツ館がパビリオン賞を受賞したという。
隠居の旅路
陽が高い時間帯、国際的観光地ヴェネツィアは人でごった返し、考えうる限りの団体がひしめく。とりわけ人気スポットであるサン・マルコ広場やリアルト橋周辺は、京都の清水寺や浅草の仲見世通りに輪をかけ何倍にもした人口密度。それにひきかえビエンナーレ会場は広くてゆったり。そもそも興味を共有する人達しかいない。スタッフもイタリアらしく大らかで、楽しそうにおしゃべりに興じていたり、携帯電話を片手に大声で歩き回っていたり、我関せずゆっくり本を読んでいたり。なのに、一線を超えそうな鑑賞者がいると、「NO!」とすごい剣幕で仕事をする。日中はこうしたところに身を置き、人気スポットへは早朝や陽が陰ってから足を向けていた。
帰ったら焼肉屋、もちろん。
2017年6月初旬の昼下がり、カナルグランデ(大運河)のシンボル リアルト橋からマルコ・ポーロ空港行きの船に乗り、私たちはヴェネツィアを後にした。後輩は船着場まで見送ってくれた。「深川に帰ったら、上ミノをちちっと焼くか」と私がつれあいに囁いたのを聞きつけてカンカンに怒る。「私はあと3ヶ月もイタリアにいなければいけないのに!もう、焼肉食べたい!」と。彼女も今はすでに東京で就職している。ヴェネツィアは満ち干を繰り返すラグーナの潮とともに今日も日を送っている。じきに沈むから、早く観に行った方がいいという人もいる。ツルゲーネフは、「ヴェネツィアを訪れると、幸福な人はますます幸福になり、不幸な人はさらに不幸を感じる。」と書いたそうだ。旅を終え2年が経つ。旅の愉悦が想い起こされる。ああ、もうすぐ隠居の身。芭蕉の句が身にしみる。「旅に病み 夢は枯野を かけめぐる」
シリーズその他の4段:「比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ」https://inkyo-soon.com/venezia1/「続・比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ」https://inkyo-soon.com/venezia2/「続々・比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ」https://inkyo-soon.com/venezia3/「比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ Ⅳ」https://inkyo-soon.com/venezia4/