隠居たるもの、新参の道具を試みる。いまだ隠居の身にたどり着いていない我が身であるが、だからこそ今のうちに億劫がらず最先端の機器に手を出さなければならないのだ。

崖のスパゲッティ?

マンマが両腕を前に伸ばして体をふたつに折り、お尻を後ろにピュッと突き出す。身ぶり手ぶりでコミュニケートしようと励んでくれている。

路地裏のOSTERIA ai 4 Feriでのこと。世界中から観光客が押し寄せるヴェネツィア。ほぼ英語でOKなのだが、時たまイタリア語しか通じない店もある。頼りにしている後輩は留学生、当たり前のことに昼間は学校にだって行く。そんなこともあろうとスマホには翻訳ソフトが入れてある。お店の手書きメニュー SPAGHETTI欄にある「SCOGLIERA」が気になる。ここぞとばかりだ、Google翻訳の出番。訳出された言葉は、「崖のスパゲッティ」…。

結局、頼りはマンマのジェスチャー

「???」うずまく私たち夫婦は、「指さして首をかしげ困り気味に微笑む」という世界共通語でマンマに訴えた。必死の形相のマンマが「エビ」を表現していることを理解した私たちは、「おお」と手を打ちそれを注文した。「海辺のスパゲッティ」そういうニュアンスなんだろう。とってもおいしかった。他の路地裏 TRATTORIA POSTE VECIE という店では、日本語メニューがあるというからそれを所望。すると「カニと黒人の麺」とある。何やら不穏だ…、好奇心から注文する。それは「蟹肉がのったイカ墨スパゲッティ」だった。これも大変においしかった。イタリアのものはイタリアで、そしてヴェネツィアで食すシーフードのスパゲッティは格別だ。ご当地に勝るものはそうそうないということだ。

町のすべてが博物館にして美術館

入り組んだ迷路のような路地を歩いていると、歴史の重みは唐突に姿を現わす。ヴェネツィアは東西約4.5キロ、南北0.5~2キロ、小さな町のいたるところに教会や同信会館が存在する。同信会館とは、共通項をもつ信徒たちが作るいわばサークルである同信会(スクオーラ)の社交場。同信会は名の通ったものだけでも50を超えていたという。15世紀から16世紀の名画・名作を擁するそれら歴史的な建造物に流れる空気は、華々しくも厳かで、信者ではない私にとっても「神聖」であった。その最たるものがサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会であったし、それと並ぶサンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会の主祭壇画、天才ティツィアーノの「聖母被昇天」はヴェネツィアを代表する名画だ。

サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会 「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリの多翼祭壇画」

健全な共和国

他のヨーロッパの古い街と違って、ヴェネツィアには突き抜けた高さを持つ教会がない。信心深くはあっても、教会や限られた者の権威が必要以上に大きくなるのを牽制して建築を許さなかったからだそうだ。その代わりに信心深さは美術の母体となり、常に美術制作を促す。都市の繁栄とともに同信会が競い合い、町には美術品が溢れかえる。一方で、交易都市であるこの町は、繰り返し何度もペストに襲われ、その度に多くの人口を失ってきた。それをやり過ごすための信心と、低く垂れ込めた闇が去った後の絢爛を必要としたのだろう、その記憶が町の隅々に沈潜して渦巻くように今日に至っている。

ヴェネツィアでは、まだまだデジタルが幅をきかせる余地がない。マンマと縦横無尽に話してみたいじゃないか。嗜みは多いに越したことはない。ああ、もうすぐ隠居の身。少しイタリア語修得に励んでみよう。

シリーズその他の4段:「比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ」https://inkyo-soon.com/venezia1/「続・比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ」https://inkyo-soon.com/venezia2/「比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ Ⅳ」https://inkyo-soon.com/venezia4/「比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ 完結編」https://inkyo-soon.com/venezia5/

サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会の主祭壇画、ティツィアーノの「聖母被昇天」

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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