隠居たるもの、初見の光景に郷愁を感じることもあるだろう。暮れなずむ宵闇に浮かぶ世界遺産、水上から船に揺られて眺めたその光景は、かつて見たはずの懐かしい何かをまとっていた。それが何かは今もわからないが…。

今宵、S.Zacczria で船を降りる

深川を出たのは朝の7時半。直行便がないので、まずは羽田からJALでパリのシャルル・ド・ゴール空港へ、ドキドキしながらエール フランスに乗り継ぎ、ヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港に着いたのは現地時間で午後8時、時差7時間の深川時間は翌日の午前3時のはずだ。フォーリン ランゲージが心もとない私たちの保護者は、30歳以上年下の後輩だ。空港まで迎えに来てくれた彼女と無事に落ち合い肩がほぐれる。ローマ広場まではバスに乗り、車の乗り入れが禁じられているそこから先は水上バス・ヴァポレットに揺られる。目的地 S.Zaccaria(サン・ザッカリア)で下船、海沿いのHotel Paganelli(ホテル パガネッリ)にようやくのこと荷物をおろす。自宅からたっぷり21時間。サン・マルコ広場にほど近いホテルから、遅い夕食をとるため町に出る。見渡す限りの歴史的建造物、「比類なき幻想的な異国情緒」は私たちをあっという間に飲み込んだ。

海に浮かぶ蜃気楼

「思い切った旅をするんだから」という貧乏性と小心から、隠れて予習していた。そんな中で読んだ岩波新書「ヴェネツィア 美の都の一千年」(宮下規久朗著)に「ヴェネツィアは、陸地から4キロほど離れたアドリア海のラグーナ(潟)に浮かぶ118の小さな島からなっている。島々の間を道のように運河が縦横に走り、400もの橋がこれをつないでいる。」「2000年近く前に、無数の杭をラグーナに打ち込んで作った人工的な都市が今にいたるまで存続し、しかも1100年にわたって独立し、『アドリア海の女王』として繁栄を謳歌してきた都市国家であったというだけでも驚異であり、蜃気楼のように海に浮かぶ都市や運河に映える建築群といった幻想的な景観は誰をもひきつけてやまない。」と書かれていた。現地に立たないと「それが本当」で決して大げさでないことはわからない。

Hotel Paganelliから望む

私たちが宿泊したのは海に面しているHotel Paganelli(ホテル パガネッリ)。上に掲げた2枚のうち上の写真、真ん中のクリーム色の建物だ。下の写真は部屋の窓から毎日ながめていたサン・ジョルジュ・マッジャーレ島とサン・ジョルジュ・マッジャーレ教会。たまたま保護者の下宿先にも近くより心が安らぐ。このホテルから日々、入り組んだ迷路に私たちは繰り出した。こんなところで暮らしていると、そりゃあキャッチ写真の白いスーツ着込んだ「ご隠居」も生息するさ。ああ、もうすぐ隠居の身。修行に励むのだ。

シリーズその他の4段:「比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ」https://inkyo-soon.com/venezia1/「続々・比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ」https://inkyo-soon.com/venezia3/「比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ Ⅳ」https://inkyo-soon.com/venezia4/「比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ 完結編」https://inkyo-soon.com/venezia5/

アカデミア橋からサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会を望む

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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