隠居たるもの、見据えるべきは「枯淡の境地」。そもそも「枯淡」とは「書画・文章・人柄など、俗気がなくさっぱりしている中に趣がある」ことを意味するから、「ある段階に達した」ことを指すその「境地」ともなるとなにやら涼しげでまとわりつく感じがしない。2022年6月25日午前11時、まだ7月にもなっていないというのに外気温はねっとりと34℃。「おいそれと陽の高い時分に表になんか出れないや」などと、土曜日であることをいいことに、初老にさしかかった夫婦は屋内でゴロゴロしているわけである。「枯淡の境地」に憧れる私は、先月18日に誕生日を迎えて58歳とあいなった。

久方ぶりの「お誕生日興行」の初日は5月16日

以前からどういうわけか誕生日の前後に遊ぶ用事が立て込むことが多く、私たち夫婦はそれを称して「お誕生日興行」と呼んでいた。もちろん新型コロナ禍にあった昨年と一昨年にそんなことして社会的指弾を受けるのも脳天気だし、そもそも「遊ぶ場所」自体も門戸が閉じていて「興行」をしようにもできない状態ではあった。それではひっそり「枯淡」らしきものを味わっていたのかというと、55歳の誕生日を期に3年前から始めたこの「もうすぐ隠居の身」が、「今日を境に2年目に入った」とか、はたまた「やっとのことで3年目にこぎつけた」とか、それはそれでいささか暑苦しくいきりたってはいたのである。それがどうだ、58歳ともなればいくらか「枯淡」というものがわかるのか、「4年目突入」となる今年はすっかり落ち着きはらい、今もこうして淡々と385段目を記している。そんなだから意図をもって計画したわけではない。なのに予期もしないなりゆきで、まぎれもなく「お誕生日興行」が復活したかの様相が展開されるに至る。その初日の幕は5月16日に切って落とされた。

バースデーディナーも久方ぶりのO2で

白馬で過ごしたバイトの中休み、近所に住む若い友人から「いっしょに飲みましょうよ」と打診があった。「16日に東京に戻るから、帰りがけの食事をいっしょにってのはどうだい?」私たちは近所のうきちのカウンターに並んでそれぞれに焼き鳥をつまみ、四方山について語り合う。「そうそう、うまく予約が取れたから木曜日にO2に行くぜ。なぜなら1日遅れの俺の誕生日ディナーだからさ。」(以前「古い町の新しいお店:清澄白河のモダンな中華 O2 の巻」https://inkyo-soon.com/02/で紹介した、深川の新しい名店)カウンターの隣に座る40歳の彼が、同級生であるO2のオーナーシェフ 大津くんがローソンの新しいアイスを監修したと前に教えてくれていた、それを食べてみたら久しぶりにO2に行きたくなったのだ、と説明する。彼は姿勢を正して「そうすか!お誕生日おめでとうございます!」と即座に返してくれた。「お誕生日興行」のスタートである。

小粋な誕生日プレゼント

店に入るなり、大津シェフは私たちにこう告げた。「彼から『自分が持つからお酒好きのご夫婦に好きなようにお酒をふるまってくれ』と言われているんです。なんなら30万のワインを出しましょうか?はは、冗談です。料理ごとにこちらで選んでおすすめします。それでよろしいですか?」まったくもって深川の同級生たちは小粋なことをしやがる。車海老の蒸し焼きやら鯛の春巻きやら、 大津くんが作る料理はとても香りがいい。だから一品ごとにとっかえひっかえサーブされるいくらか癖のあるワインがそれぞれうまい具合に絡み合う。フカヒレの姿煮なんて口にするのは果たして何年ぶりだろう。私は心地よく、忌野清志郎の享年となる58歳とあいなった。

VERY WELL

5月21日土曜日、つれあいの古くからの友人が娘さんを連れて我が庵に遊びにきた。この春、お嬢ちゃんが大学を卒業して就職し、生まれ育った湘南を離れてこちらの方で一人暮らしを始めた。なので「なんかあった時、頼れるところが近くにあるのは心強いから」と母親が私たちと引き合わせたのだ。「初めまして」と挨拶するお嬢ちゃんだが、私たちはよちよち歩いていたころの君に会っている。それがすっかりいける口に成長しちゃって…。私は翌日もアルバイトだというのに、楽しくつい遅くまで飲んでしまった。母親と私が同じ学年であると確認しているうち、3日前に私が58になったことが当然に言及され、寄ってたかって「おめでとう」と声がかけられる。それにしても母と娘、そっくりを通り越している。つれあいのTシャツにはここぞとばかり「VERY WELL」とプリントされていた。

「お誕生日興行」の千秋楽はメロン坊やがしめくくる

そのとき来客があって、庵に招き入れる前にお客さんと私は玄関口で挨拶を交わしていたのだ。そのお客さんの脇をすり抜けメロン坊やがひゅっと飛び込んできて、「プレゼント買ってきたよ!」と私に笑顔を浴びせかける。来客には申し訳ないが用事は早々に済ませてもらって、5月22日、「祝わせろ」と乗り込んできた親族による「お誕生日会」が始まった。姪孫が「大叔父にはこれ」とプレゼントに青い靴下を一発で選んでくれたという。さあ食事も最後となり、ご一行持参のケーキの箱が開かれる。おお、蝋燭までちゃんと用意されているではないか。照れ臭さを隠して吹き消そうと胸を膨らませていると、「ちょっと待った!わざわざ大叔父自らケーキの蝋燭を消していただくには及ばないよ!ボクがピューっとやってみるから!」とメロン坊やに吹き消されてしまった。復活なった「お誕生日興行」はこうして無事すべてを終えた。

先日ヤスのところに髪を切りに行って、同じ年であるヤスの奥さんと「いま57歳なのか58歳なのか、それが時として判然としなくなる」などとうなずき合った。とはいえ「お誕生日興行」があったおかげで、しばし自分が58歳であることを忘れることはないだろう。しかし59歳になったら「あと1年で60歳」と逆算して自分の歳を確認するのだろうか、そして「還暦」だからこそ60歳は自覚されるのだろうか…。まあどっちでもいいや、ありがたいことに「誕生日おめでとう」と祝ってくれる人たちだって、私がいくつかなんてことにその実は頓着していまい。ああ、もうすぐ隠居の身。「枯淡の境地」はまだまだ先だ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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