隠居たるもの、暮れの元気なご挨拶。師走も半ばに差しかかるとなると、やはりどことはなしにソワソワとなるもので、そこにもってきて「忘年会」なんてお声がかかろうもんなら気忙しさばかりが幅きかす。2022年12月16日金曜日の午後、私はおでん種を買い求めに日本橋の神茂(かんも)を訪れた。毎冬恒例、友人を招いての「おでん開き」を翌日に控えてのことだった。「忘年会」と銘打ってはいないものの、初夏に再会を果たしたドイツ語Q組の友だち4人が我が庵に集って飲もうかという話になり、それを「おでん開き」に充てようと思いついたのだ。となるとせっかく日本橋に出かけたのだからと馴染みのタロー書房にも足を向ける。活躍ぶりを嬉しく思っている中学高校の後輩(だからといって面識があるわけではない)、思想界のニュースター 斎藤幸平くんの新刊が平積みになっていたから購入する。この日の夜は中学高校の同期15人が五反田の中華料理屋に集う、正真正銘の「忘年会」だ。

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「トイレに起きずに朝を迎えることなんかまずない」

「午後7時開宴は遅えよ。みんな、もう職場でそんなに求められちゃあいないんだろ?早く始めようぜ。時間がつぶせねえよ。どうにも仕方ねえから俺は床屋に行っちゃったよ」相変わらずM(この夏「メンズワールド」の段に登場)は小うるさい。残りの14人皆がゲラゲラ笑ってうなずく。「まだみんな一応は働いているから、さすがに平日に5時というわけにはいかないだろうけれども6時開始でいいな。休みの日だったら4時でもいい。」「そうだよ。今だって長く飲むことはできるんだ。だけど日が変わるような遅くまでは無理だ、眠くなっちゃうから」57歳から58歳、初老に差しかかった男子校同級生が雁首そろえて集うのはやっとのこと3年ぶりだ。あまりにもむさ苦しいので、たしなみとしてここに集合写真を掲載することは控えるが、当然のこと3年分それぞれにどことなく年をとった。

母校の美術室

「なに言ってんだよ、俺だって一度もトイレに起きずに朝を迎えることなんかまずない。必ず一回は起きる」誰かが威張ったようにそう言うと、他の14人みなが首を縦にふる。「その上にほっといたって朝早く目が覚める。たまに8時まで寝ていられたりすると『今日はお互いよくがんばった』と女房と称え合うんだ」他の者がそう被せると、これまた残りの14人が微笑みながら同意する。ごく最近にとても近しい人を看取った、そんな友だちも何人かいる。気遣ったり、そこから慎重に笑い話に転化したり、そこはそれ、誰もが45年かけて磨いた阿吽の呼吸を披露する。最後に「同級生みんなで祝い合う還暦の会」の予定日を案内し、3年ぶりの忘年会の名残を惜しむ。そういえば、話のタネにと思って、我々の後輩 斎藤幸平くんの新刊を会場に向かう途上に読んでいたのだけれど、書中に「高校まで毎日サッカーをしていた」というくだりがあった。「この子、サッカー部だったのか?」と同級生に尋ねたところで、ことここに関して私が知らないことを彼らが知る由もない。

海老で鯛を釣る

「冬に一度は神茂のおでん」、こちらは土曜日であるから、友だちには「夕方4時でいい?そのあたりを目処に。おでんはこちらで用意するから、サイドディッシュとなるつまみは各々適当に持参してくれ」と伝えてあった。さすがに誰もがみな大人である。各々「それなら野菜系の惣菜と、ちょっとした白ワインを買っていくよ」「じゃあオイラはクラフトビールとチーズを用意していく」「それじゃあ、うちにあるもらいもののシャンパンを持って、あとは適当に惣菜を選んどく」とLINEグループで応じる。3人の友だちは三々五々バラバラに到着する。「え?こんな良さそうな甲州ワインいいの?」「いいんだ、飲みたいとは思っていても、ひとりのときに絶対に買うことはないから」「それじゃあ、まだそろってないしビールからゆっくり始めとこうか。あ、そのPUNK IPAってクラフトビール美味いよ。なんてったってPUNKだからさ」とかやってるうちに、少し遅れて最後の一人がやって来る。

過剰包装なそいつはドン・ペリニヨン

「もらいものなんだけど、はいシャンパン。あと、焼き鳥を買ってきた」「ずいぶんと過剰包装だね、このシャンパン」「うん、ドンペリなんだ…」「ちょっと待てぇい!確かにシャンパンとは聞いていた。しかしドンペリとまでは言ってなかったぞ!こんなものをここで飲んじまっていいのか?」そもそもドンペリなんて、どこぞの結婚式で乾杯の時に一杯だけ飲んだことはあっても、商品として箱詰めされたものを拝んだことすらない。べらぼうに高いんだろうことはなんとなく知っているけれど、価格をきちんと確かめたこともない。「うちの夫婦、酒あんまり飲めないでしょ。せっかくのもらいものだからさ、酒が飲める人と、こうして楽しく飲むときに開けてもらった方がいいんだよ」ふうむ、そういう了見ならいたしかたない。酒飲みの矜持にかけて、グイグイと飲ませていただく。その時かけていたのはマッシヴ・アタックの「Mezzanine」だった。

高橋幸宏 50周年記念 ライブ LOVE TOGETHER 愛こそすべて

「このはんぺん、本当に違うね」などと美味しい酒に酔いしれて、こうして集ったお題目をあやうく忘れるところだった。WOWOWで放送した「高橋幸宏 50周年記念 ライブ LOVE TOGETHER 愛こそすべて」、それを酒を飲みながらみんなで観ようという趣向だったのだ。脳腫瘍を患う幸弘さんは残念なことライブ当日ステージに立てなかったそうだが、集まった4人のうち一人はNHKホールにこのライブを観に行っていた。ゲストで原田知世が歌っていたときだったろうか、友だちの間で交わされた「ザウアークラウト、簡単だから作ってみてよ」という会話に触発され、私はふとこんな質問を発してみた。「ところでドイツ語って今どれだけわかる?」答えは「Ich binくらいだな」とか「そうか、俺はサッカー選手の名前くらいなら読める」とか。あの頃、各々まなじりを決して第二外国語を選択しただろうに…。笑っちゃうけど、まあ、えてしてそんなものだ。私たちはドイツ語クラスを介して友だちになったわけだけれども、実のところ私たちを友だちにしたのはドイツ語ではない。

「ちゃんとサッカー部OBでした」

調子に乗って飲んでいた私が少し怪しくなり始めたのを見計らって、友だちたちは10時前に帰って行った。するとサッカー部の後輩でもあるメロン坊やの父親からLINEが入る。斎藤幸平くんが対談している記事をインターネットで見つけて教えてくれた。彼はそこでサッカー部員であったことに触れていた。そうだったのか、ならば安心してドイツ語は彼に任せておこう。

翌日、二日酔い気味で「昨晩に飲み干した酒は合計でいったいいくらくらいになるんだ?」と気になり調べてみる。なんとびっくり54,000円ほどに及んでいた。私が日本橋で買ってきたおでんは合計で6,706円だ。「海老で鯛を釣る」などと口にするのもお恥ずかしい、持つべきものは友だちである。ああ、もうすぐ隠居の身。冬に一度は神茂のおでん。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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