隠居たるもの、ひと月越しに山越える。2022年12月8日木曜日、白馬の空には重い雲がかかっていて、ときおりみぞれが落ちてくる。先に白馬をあとにしたのは「そろそろ紅葉も見納め」という11月7日、この間に色彩が「紅」から「白」へとすっかり移り変わっていた。散種荘ができてからというもの、これほどの期間を空けたことはない。熊本に出向いたり、たびたび母校に足を運んだり、もろもろ所用があったことも確かではあるが、最大の要因がW杯にあったことは否めない。11月20日に開幕して決勝トーナメントの1回戦すべてが終わった12月7日まで、すべて合わせて56試合、今大会のきっちりと長いロスタイムまで加算すれば延べにして約6,000分(つまり約100時間)、休みなく熱戦は連日に続いていたのだ。散種荘にはテレビがない。深川の庵にこもるのもそれはそれで無理からぬことではあった。

否が応でも冬は来る

とはいえ否が応でも冬は来る。そうそう白馬を留守にしているわけにもいかない。準々決勝が始まるまでのW杯2日間の休養日を利用し、「冬支度」を完遂すべくそそくさと散種荘に身を移す。まずは閉め切っていたにも関わらず6℃まで落ちている室温を温めることに集中する。今回の滞在中に、最後のピースである白馬ファーム(株)の薪を受け取り「薪活」がいったん完結する。薪ストーブにあたりながら、11月上旬に届いていたBUDDY GUYのニューアルバムをやっとのこと聴いてみた。レコードプレイヤーは散種荘にしかない。

https://tower.jp/article/feature_item/2022/08/17/0103

BUDDY GUYを「世界遺産」に

1936年生まれのブルースミュージシャン バディ・ガイ、年端もいかない50年代からマディ・ウォーターズのバックでギターを弾いていた超絶ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンの元ネタにして永遠の憧れ、ローリング・ストーンズのライブにゲスト出演すれば、ミック・ジャガーより3倍大きな声で「きくマリファナをくれ」と歌う「生ける伝説」。その御大が、先日なんと86歳にして4年3ヶ月ぶりの新譜を発表したのだ。気分を出してバーボン片手に聴いてみる。これが凄い。ギターを弾きまくり、やっぱり大きな声で歌う。タイトルは「THE BLUES DON’T LIE」、問答無用だ。「最後に残った者はブルースを死なせてはいけない」、彼はマディ・ウォーターズやB.B.キングら先達たちとそう約束を交わしたんだそうだ。2005年にシカゴに行くチャンスがあって、その店が現在もあるのかは知らないが、バディが当時に経営していたブルースクラブでまったり5時間ほど過ごしたことがある。彼の出演はその日なかったけれど、私にとってかけがえのない宝物のような経験だ。バディ・ガイ、一刻も早く「世界遺産」に認定すべきである。

晴れた日は庭仕事に精を出す

一夜明けると雲はどこかに去っていた。この滞在でもっとも肝要で抜き差しならない「冬支度」に取り掛かる。まだ日も浅い散種荘の庭、成長途上にある若い植栽のか細い枝たちは、雪が降り続くと持ち堪えられない。雪ってえやつは少しでもとっかかりがあるとみれば、か細かろうがなんだろうが情け容赦なくどこにだって降り積もる。まだまだインテンシティを兼ね備えていない若枝は、その重さに耐えかねポキリと折れてしまう。だからおのおの横に枝を広げないよう縦に、しかも団結して立ち向かうよう何本かをまとめて縄で結う。足元はいくらか雪が積もって凸凹なので、脚立を昇って高いところの作業をする際には支えが必要だ。つれあいが高所作業をひととおり終えたところで、支えの係はお役御免となる。そのまま手の届く高さのか細い枝を団結させて回るつれあいをよそに、私は本来の役目にとりかかるべく室内に戻った。

白銀が招いているのだ

白馬に到着した日、五竜スキー場が「9日にオープンします!」と大々的に発表、するとなるとライバルの八方尾根スキー場だって黙っちゃいない。張り合って「うちだってその日の午後からなんとか帳尻合わせます!」と宣言する。山の上に位置するコースに限ってはいるものの、近隣のスキー場が私たちの到着に合わせたかのようにオープンするという。つれないそぶりは野暮の極み、ここはひとつおっとり刀でゲレンデに繰り出そうじゃあないか。そもそも「冬支度」の一環として、スノーボードのチューンアップは予定に入れていた。ベースワックスをはがし、滑走ワックスを塗り、その滑走ワックスをこれまた削る。ビンディングのハイバックを交換し調整する。10日と11日はW杯の準々決勝があるし、やっぱり土日は春からこのかたウズウズしていたやつらで混雑するだろうから、私たちは12日の午前中に照準を絞った。

だからといってW杯は捨ておけない

どんなトーナメントにおいても最も見所となるのは準々決勝だ。テレビのない散種荘であるが、今回のW杯はAbemaによる全試合インターネット配信、心配することはない。10日の朝、いつもと変わらない時間に起きて、情報を遮断しiPadでAbemaを開く。最初はiPadからApple TVにAirPlayで飛ばし、それをプロジェクターを通してスクリーンで観ていたが、やはり薄明るい中ではどこかしら散漫、加えて動きの速いサッカーは、あまりにも大きな画面だとどこを注視すればよいか脳みそが瞬時に判断できず、結局ゲームの全体像がつかめない。ということで、画面9インチのiPadから、少しでも大きい画面13インチのMacBook AirにAirPlayで飛ばし、薪ストーブを背にちんまり夫婦横並びで観ることにした。ところがこの大きさがいいのか、いつにも増してとんでもなく集中してしまう。その上にクロアチア対ブラジル、アルゼンチン対オランダ、PK戦にまで及んだ手に汗にぎる死闘が2試合と続いてしまうものだから、ようやく観終えたお昼過ぎにはすっかり虚脱…。その後、外の空気を吸いがてら、気を取り直してパスタを食べに山を降りた。案ずるより産むが易し、どうやら散種荘におけるサッカー観戦スタイルが確立されたようである。

2022-23シーズンが始まる

12月12日月曜日の午前中、裏山である八方尾根スキー場に出向く。雪の質、一本しか開いていないパノラマコースの状況、当然のことまだまだだ。勘だけ取り戻して、ケガしないうち早々に切り上げた。気の早い好事家が好む、まあ初鰹みたいなもんだ。新調したボードがコントロールしやすくて具合がいい。つれあいも似たようなことを口にしている。12月14日に滑り始めた昨冬より2日早く、なにはともあれシーズンインだ。

その日の午後、温泉に立ち寄り15時16分発のあずさ46号で東京に戻ってきた。W杯はもうそろそ終わるけれども、年末進行は本格化しており、忘年会のような寄り合いがふたつあり、この1週間で大掃除をあらかた終わらせなくちゃならない。その先で白銀が招いている。ああ、もうすぐ隠居の身。否が応でも冬は来る。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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