隠居たるもの、旧交をやっとのこと温める。つれあいがワクチン接種2回を済ませ、なおかつ抗体形成までの期間を経た10月上旬、私たちは満を持して彼女の故郷である熊本に出向いた。そのあとくらいから「そろそろ会って飲んでみないか」という声がかかるようになり(もしくは声をかけるようになり)、数えてみればこの2ヶ月半で(日頃に食卓を共にするつれあい以外の方々を交えた概ね4人前後の)会食を15回もするにいたった。「新型コロナ禍以前」をかえりみれば決して多いともいえないが、(2020年にほんの数えるほど間隙をぬった機会があったとしても)まるっきりといっていいほど会食のなかったこの2年からするととんでもないことではある。それでは「新型コロナ禍以前」同様に戻ったのかというと、当然のことながら様変わりしていてそんなことはない。

したくもないけど惰性でやっていた忘年会がなくなるのはいいことだと思う

席を共にした友人たちは「会社の忘年会は今年もない」と口々に言っていた。だからといって寂しそうでもない。「いまだ新型コロナに対する警戒を」というのは表向きの理由で、宴席という宴席がなくなったこの2年間で「仕事がらみでなかば義務的に催されてきた忘年会なぞ考えてみればなかったとしても構わなく、むしろない方が精神衛生上スッキリするかも」ということに多くの人が気づいてしまったというのが実情ではなかろうか。ニュース番組で流れる新型コロナ禍以前に戻ったような先週末の繁華街の人出を見るにつけ、みなさん「旧交を温めたい人」とはここぞとばかりに会食をしているのである。こちとら勤務先を持たずにブラブラしている身だからそもそも「会社の忘年会」なんかもうないが、そうした「惰性の忘年会」が激減し誰もがスケジュールに余裕ができた分、こうしてお声がかかるのかとも思う。

「俺たちに黙食なんてできるか?」

出身大学の所属する同窓会の先輩後輩で、この12月上旬に20人と少しの忘年会を敢行した。もちろん人と会食する以上「100%の安全」がないことは承知している。その上で私たちは踏み切ったのだ。私よりひと回りくらい年長になる先輩からなされた「俺たちに黙食なんかできるか?」という素朴な問いかけに「無理です」と皆の意見が一致した。結果、申し訳ないけど今回はワクチン2回接種者限定、テーブル間の移動は原則禁止、スピーチ等の挨拶時にはマスク着用、校歌斉唱等のアトラクションなし、という心ばかりのルールが決められた。それよりなにより、参加している先輩同輩後輩に対する信頼、つまり「新型コロナに容易に感染するようなだらしない日常を送っていないだろう」という信用があってこそ。上は80歳から最年少で19歳の現役学生(この女子学生は「普段は同世代としか話ができないから、こういう場に参加させていただいて年長の先輩たちとお話ができたのが嬉しいです」と自己紹介しておじさんたちを泣かせた)、そう私たちは三々五々に集まってオンラインでは味わえない紐帯を2年ぶりに味わったのだ。ずいぶんと日が経つが、幸い誰かが感染したという話は聞こえてこない。

深酒をしないよう注意しているのだ

この間の会食の内訳は、熊本と宇都宮の親族訪問、散種荘に迎えた3組の客、大学の先輩や後輩と4回、中学高校の同級生(違うグループで)2回、元の勤務先の仲間たち、同じ集合住宅で暮らす若い子育てファミリーたちと懇親会、近所のギャラリーで個展をもった陶芸家の友人を我が庵に招いて久しぶりに会食、近所の友人に会うためふらっとビールを1杯、こんなところだ。こうしてみると「なくてもよかった会」はない。相手には昔からの友人も多いから、また似たような馬鹿話をしてゲラゲラ笑うのかと思いきや(とりわけ中学高校の友人と)、さすが2年間まともに話をしていないとなると少々趣きが違う。酒を飲むことより語り合うことに熱中した。多かれ少なかれ誰もがこの2年、様々なことを少しは真面目に、惰性に煽られずに「選び直す」作業に直面したのだろう。とはいえ世代が混淆する世界のみなさん誰もがそういうわけではないから、かねてよりうっかり者が多発する夜遅い帰りの電車に油断は禁物。つい深酒してマスクもつけずに大口開けて眠りこんだ泥酔者ばかりの最終電車、想像するだに恐ろしい光景である。そのうちの一人になったあげくにそこで新型コロナに感染しようものなら後悔してもしきれない。

近所に住む親戚のおじさんみたいなもんだから

ちょうど折り返し地点のように思える時期に、うっかりどこかで拾ったウィルスが自分を介して広まってしまうのも嫌だから、抗原検査ってやつもやってみた。「15分でわかる」というテストキットがどう反応するか内心ドキドキしながら見つめていたのだが、3分もしないうちあっけなく「陰性」で反応が固定化した。オミクロンなんてのが出てきて更なる延期をいっときは覚悟しつつも、(今後どうなるか予断は許さないが)小さな会食にとって大きな支障とはならなかった。そして昨日12月19日、これで約束した会食も一段落、出身学部も同じ31学年下の大学の後輩が我が庵に遊びにきた。都バスに乗って少し行ったところ、同じ江東区に暮らしている彼女は、昼過ぎにやってきて、つれあいを交えて3人で遅いランチを食し軽くワインを飲みながら、音楽やら本のことやら、仕事のことや日々の暮らし、いろいろたっぷり話をして6時ごろに帰っていった。娘のような年恰好の後輩が、どうして初老にさしかかった先輩の家に遊びにくるのか訝しむ方も多かろう。彼女は父一人・娘一人の父子家庭に育ち、2年前にそのお父さんを唐突に亡くした。今はお父さんが遺してくれた一戸建てで一人で暮らしている。「うちは近所のおじさん夫婦みたいなもんだ。遠慮なぞしたら許さないからな。遊びに来い」と先輩はきつく命令していたのだ。いいつけに従い、彼女はほぼ2年ぶりに遊びにきた。ああ、もうすぐ隠居の身。オンラインでは伝わらない温度というものが確かにあるのだ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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