隠居たるもの、用もないのに近所を歩く。実は高田純次を尊敬している。「近所以外を歩くのは自粛しろ」と要請されている2021年の昨今だ。彼が能天気に散歩するだけの番組「じゅん散歩」(テレビ朝日で月〜金 午前9時55分放送)にならって近場をぶらつくばかりである。確かに盛夏の間(7月21日から9月1日までの43日間)は「いくらか涼しいところにせっかく拠点を持ったのだからして」と県境を跨いだ白馬 散種荘で30日間を過ごしたものの、それにしたって人の少ないときを見計らって「そのあたり」を夫婦でブラブラしていただけだ。それは東京にいるときだって同様で、その行き先のひとつにGallery Dalston があった。

「NAOHISA‘S EXHIBITION 2021」

Dalston(ダルストン)は友人が運営するギャラリーだ。我が庵からすると隅田川に向かって歩いて、それでもって大通りを渡り墨田区に入ってトータル15分くらいのところ、そんな塩梅だろうか。豪雨の影響で一時帰京の日程がずれ込み、予定を組み直した8月中旬のこと、Dalstonから「NAOHISA‘S EXHIBITION 2021」という展示を20日から9月1日まで催すとの案内をもらった。「東京にいることになったんだ、久しぶりに出向いてみようじゃねえか」私たちは連れ立って「じゅん散歩」することにした。元気な兄ちゃん(作家本人)が、ちらっと鼻水を垂らした女の子の絵をずらっと並べて待っていた。私たちとほぼ同時にギャラリーに入った、やはり近所の70歳代と思しきおじさんが尋ねる。「どうして鼻水を垂らしてるの?」描いた人が答える。「大きな目でじっと見られるだけだと少し怖いじゃないですか。鼻水が垂れてるとクスッとなって親しみが持てるかなと」子供を迎えに出かけていた友人には会えなかったが、その晩に連絡を取り合い、手が出せる金額だった「SATOMI」と題されたB5より少し小さいやつを取り置いてもらうことにした。この表題について、NAOHISA本人は「モデルにしたわけではないんですけど、描いているうちに勝手に石原さとみが頭に浮かんだんで」と解説していた。なるほど能天気でよろしい。私の頭に浮かんだのはドナ・サマーだったが。

「SATOMI」をピックアップする

昨日9月7日、このところ意欲的なDalstonから展示期間を終えた「SATOMI」をピックアップしてきた。奥で2歳半になる子供が「これは自分のお菓子だ」とグミを私に誇示している。「この子が生まれてから会ってなかったんじゃないの?」「あ、もしかしたらそんなになるかも…」「この新型コロナの騒ぎが始まってからだって1年半になるもんなあ」「展示しようにもこの間はなかなか…。そうそう、一番上の子はもう小学3年生ですよ」「ええっ!」なんて他愛のない話に興じる。「SATOMI」は、アオゾラカグシキ會社の本棚が設(しつらえ)られた散種荘の階段周りにかけようと考えている。あの壁面に彩りが欲しかったのだ。そして静かな山小屋には伏し目がちで穏やかな「SATOMI」こそがふさわしい。実は「また来るよ」と言い置いて庵に持って帰ってきてから、よりいっそう悦に入って眺めている。能天気ではなくむしろ理知的で、やはり美術品なのである。ずらりと並べられたギャラリー内ではそれぞれが牽制してしまうからだろうか、それともハレーションを起こすからだろうか、そこまで感じることはなかった。しかし庵にぽつんと置かれた小さな一枚は、人の手によってじっくり描き込まれたゆえの存在感を否応なく誇示するのだ。

「とてもツライです」

大通りを避けてDalstonがある墨田区の両国文化圏から江東区は深川にかけて、小さな道や路地を伝って爽やかな初秋の夕刻に帰庵する。この日の私たちの「じゅん散歩」もこれで終わるのだが、「ビールでもひっかけたいところだけど店が開いてない」とつれあいが嘆く。やむなく酒を提供している類の店は規模も大きく私たちの好みでない。カウンターに毛が生えたような好ましいちょいとした店は張り紙した上でことごとく閉まっている。その多くには「9月12日まで」と記されているが、これまで同様、また書き直されることだろう。そんな張り紙の中に切なくてやりきれないやつが1枚あった。書き直す徒労がもう耐えがたいのか、期限は懐疑的に「当分の間?」とされている。そして最後に「とてもツライです」と書き添えられている。一方で、ついこの間までそこら中に貼られていた当選挙区選出の秋元司元IR担当副大臣(この日の午前中に実刑判決が下された)のポスターが、気づけば1枚残らず取り去られていた。自民党総裁選のお祭り騒ぎに辟易する中、ほんの少しだけ溜飲が下がった。

アートの力を信じてる

幼少のみぎりより、私はフットボーラーである。柔道だって黒帯である(高校の授業で取得したからいささか怪しいけれど)。だからスポーツは好きだ。サッカー日本代表など当たり前のこと応援する。しかし「スポーツの力」は信じていない。そもそも「スポーツの力」ってどんな力?それを連呼する方々からも具体的な説明を受けたことはない。漠然としたままの方が彼らには都合がいいのだろうし、説明したくない理由もきっとあるに違いない。それに引き換え「アートの力」(とりわけ「現代アートの力」)は明確だ。私たちは放っておくとついつい凝り固まってしまう。アートは「『心をひとつに』とか安易にぬかすヤツは胡散臭いぞ、『それぞれ』は『それぞれ』でいいんだ、両儀的に思考しろ!」と常に私たちの意表をついてくれる。「音楽の力」も同様で私を励ます。しかし寂しいことに「SATOMI」は近々に白馬に旅立つ。ならば都会の庵に合う作品を引っ張り出してみようか。これもDalstonゆかりだ。ううん、だけれどもこれは額装されていない…。ああ、もうすぐ隠居の身。近いうちに額縁を探す散歩に出てみよう。

Gallery Dalston https://www.dalston.space
投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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