隠居たるもの、柳に風で慣わしを新たにする。いまだ隠居にたどりついていない我が身、幸いにも在宅での勤務を命じられてから2週間が過ぎようとしている。動かしようのない客先との約束を果たすため街中に出たのも3月30日のことで、それ以来は電車にすら乗っていない。庵の書斎で何かこねくり回し、いわゆる定時を過ぎた夕刻に散歩やウォーキングに出かけるのが日課だ。これまでは週に2〜3回だったところを、つれあいとほぼ毎日、雨が降っていないかぎり(そういえば雪の日が一度あったが)、また土曜日曜には陽が高い昼下がりに移したりしながら、目ざとくセールで新調したadidasのジョギングシューズを履き込んで出かけるのだ。

私たちは「ふたつの木場公園」を持っている

混雑する時間を避けてこれも週に2〜3回、近くのジムに通っていた。私ひとりということも時にはあった。誰と話すこともなくマスクをしながら、もちろん手洗いに留意して黙々とマシンでウェイトトレーニングに勤しむ。マシンしかないこのジムで会話している人を見かけることも滅多になかったし、かかりつけの医師も「そこならまず大丈夫だろう」と太鼓判を押していた。しかし、緊急事態宣言を受けてここも9日から休業になった。致し方あるまい。それゆえに毎日の夕べ1時間あまり、これが今の私にとってはとても貴重な時間なのである。

木場公園に出向いて入り組んだ周回ジョギングコース3.5キロを歩くことが多い。ほぼ毎日のこととなると季節も景色も劇的に変わるわけではないからさすがに飽きる。つれあいが「周回コースを逆走してみよう」と提案する。走るわけではないので厳密にいえば「逆走」ではないのだが、以前にもやったことがある私たちにはそれがとても刺激的であることがわかっていた。「違う、こっちだよ」と神経をとがらせて、たどたどしく周回コースを逆さにたどる。頭と身体に刷り込まれた「無意識」が根底から覆る。見る方角が変わるだけで、視座が少しずらされただけで、同じはずの公園はまるで違う姿で現れる。いつもより広く感じる光景を目の当たりにして、つれあいはこう宣(のたま)った。「私たちは『ふたつの木場公園』を持っている」驚愕のあまり、見開いたまなこと半開きのままの口腔をしばらく閉じることができなかった。あなたはイマニエル・カントか!!これは凄い。「“経験的認識においてその能力が限界づけられた理性”を批判しながら、そのこと自体を理解するにいたって初めてかかる限界を超克できた」者にだけ許された恍惚、それがたったワンセンテンスで表現されている。

ちょっとは寄り道したりする

庵から公園に出向き、公園を一周し、時には回り道して6kmほど歩いて帰宅する。許される領域を考えながら寄り道をするのだ。例えば、路地の馴染みのクラフトビール屋さんFolkways Brewing(フォークウェイズ ブリューイング:https://inkyo-soon.com/folkways-brewing/)が、この時節柄テイクアウトを始めたというから、ウォーキングを終えて立ち寄ってオープンエアで一杯だけ喉を潤してみたり、桜の様子をうかがうために大横川に足を延ばしてみたり。すると東京都現代美術館の近くに「Bliss CAFE」https://prtree.jp/n6/7342.htmlというお洒落なお店が新しくできていた。聞いてみるとこの4月からオープンしたケーキ工場直営のカフェだそうだ。「比較する過去の実績がないから『売上激減』を証明するものもないだろうな。体裁を整えたいだけの政府の補償対象になることはあるまい、こんな時に開店なんてなんと気の毒な…」と思いつつ、シュークリームやらクロワッサンに心惹かれ入店してひとつずつ買ってみた。テイクアウトで持ち帰り、庵で紅茶を飲みながら食してみるとなんとも美味しい。店の壁に記されたアートも鮮やかで、そのコピーにもグッときたし、しばらく贔屓にして応援してみようかと考えているところだ。

LOVE WHAT YOU LOVE

「汝の好きなものを愛せ」とでも訳すのだろうか。このところ雑音にさらされる機会が激減しているからなのか、たった2週間でも自身の好みや傾向がより純化されていることを自覚する。そして、「もうそれでいいじゃないか」とも徒然に思うんだ。好きなものは好き、嫌なものは嫌、やりたいことはやる、やりたくないことはやらない、この歳になって性根がたたき治ることもそうないだろう、こんな風に。もちろん「この歳」だから、いろいろとわきまえてもいる。これからはこれだな。とても素敵な言葉だ。間違っても「責めるな。じぶんのことをしろ。」ではない。(*ご存知とは思うが、糸井重里が4月9日にツイートしたコピーである。どうやら彼は政府批判の声が大きいことがつらいようだ。さしずめ「欲しがりません、勝つまでは」をこの時節に焼きなおしたのだろう。さすがは稀代のコピーライターである。心の底から見損なった。)

言われるまでもない、みなさんそうでしょう?ああ、もうすぐ隠居の身。じぶんのことをしているさ。

この奥にFolkways Brewing
投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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