隠居たるもの、北国の春におでんで一杯。長野県白馬の散種荘で、創業320年の日本橋の老舗 神茂のおでんをつついている。当たり前のことだが、私が愛する神茂のおでんは、簡便にしてどこで食べても美味しい。では、長野でお店に並んでいるのを見つけたのかというと、残念ながらそういうことではない。用意周到に新幹線で運び込んだのだ。今回の白馬入りは午後6時を回る遅い予定だった。そんな時間に到着してそこから買い物をするのも億劫だろう。陽が落ちればうすら寒くなる北国の春、薪ストーブに火も入るだろう。「ならば神茂のおでんなんかを持ち込んでみたらどうだ?」そう思いついたのだ。

散種荘で山桜に迎えられる

(隠居にたどり着いたわけでなくとも)時間だけはたっぷりある我身、そう思いついた責任を果たすべく、2021年4月1日エイプリルフール、ひとり日本橋に寄り道して「品物」を調達、保冷剤をちりばめ「運び屋」となった。長野駅の信州土産ショップ「MIDORI」で、創業360年の諏訪の酒蔵 真澄の純米吟醸 辛口生一本も調達。そのあと1時間と少し、あとは高速バスの乗客となるのみ。少しずつ標高を上げていく車中から、チラホラとまばらに咲いている山桜を眺め、「可憐でいいねえ、白馬は見頃は4月下旬だというし、気温も上がりきってはいないからまだだろう、でもなあ、温暖化の勢いにはいつも驚かされるからなあ…」などなど考える。

生活圏に雪は見当たらなくなったが、白馬の山桜はまだ花を開いていない。散種荘で枝を広げている株も同様だ。知らぬ間に散っていなかったことに少しく安堵して屋内に入る。しばらく空けていたにもかかわらず、陽光を溜めこんでいたのか室温は12.5℃をキープしていた。私たちにはもうひとつ気にかけている山桜があった。雪の季節のこと、窓の外に植った山桜の小枝が雪の重みに折られて落ちて、つれあいがそれら2本を拾ってコップに活けて、「咲いてみる?」とキッチンカウンターに置いていた。このうちの1本が、散種荘の暖気をたっぷり吸って、私たちを出迎えるかのように、楚々と花を開いてタイミングぴったり待っていた。健気である。神茂のおでんで乙な花見と洒落こめる。

そもそも“乙”ってなんだ?

「乙」というのは、ちょっと気が利いていて趣があって、味わい深く面白い様のことを指す。「甲乙丙」というとき、「甲」はわかりやすくてたくさんの人にわかる、「乙」はわかる人にはわかる、そんな感じだろうか。大人数でソメイヨシノが咲き乱れる中で宴会するのを「甲」とするならば、楚々と咲く山桜のひと枝を眺めながら少人数でしみじみ神茂のおでんをつつくのが「乙」。しかも背後で薪ストーブまで焚かれている。単純でわかりやすい「甲」はひとつ間違えば大雑把で「野暮」、だから記憶に残らないことも多い。「野暮」というのは「粋」じゃないこと。それでは「粋」とは何か。アカ抜けている、機微を心得ている、そんなところだろうか。もういい歳なんだから、趣向を凝らし、それを楽しく探り合いながら、どうにも「そいつは粋で乙だねえ」といきたいわけだ。神茂のおでんに真澄の純米吟醸、そしてひと枝の山桜、その「趣向」が出そろった。

はんぺんがフワフワのうちに食べちまいなよ

神茂のおでんが好きで、昨年1月末にも「冬に一度は日本橋 神茂のおでん」と省察している。そこにはこう記されている。「はんぺんがとてもわかりやすい。神茂のはんぺんを初めて口にした人はみな目を丸くする。フワフワとしたこの食感に覚えがないのだ。その他のおでんダネも同様で、とにかく人が目を配りながら作っている深みがある。原料を変えていつのまにか違う食べ物にすり替えていたりしないし、あざとい味つけでごまかし素知らぬふりを決め込んだりもしない。」

つれあいが「はんぺんがフワフワのうちに食べちまいなよ」と、出汁を吸って汁気が滲まないうちに早く味わえと促す。これは本当に他にない。これで新商品「おつまみ揚げ」盛り合わせを含めて3618円。後期中齢者の夫婦2人には少し多くて、楽しみをいくらか後日に残した。「冬に一度は」と思っていたが、そればかりでもなさそうだ。この趣向を恒例としようか。ああ、もうすぐ隠居の身。「春先、白馬で神茂のおでん」。

参照:神茂ホームページ https://www.hanpen.co.jp/ ,2020年1月31日の省察「冬に一度は日本橋 神茂のおでん」https://inkyo-soon.com/kanmo/

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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