隠居たるもの、恐る恐ると外に出る。2021年1月16日、今日の東京は風もなく気温も上がる。久しぶりに小名木川横断ウォーキングに出向く。東京湾に近いといえどもトンガ大噴火の影響は及んでいない。陽光に照らされ糸をたらす釣り人の背後、影を踏まないあたりで白鷺がじっと佇んでいる。どうやら釣果のお裾分けを待ちわびている様子だ。釣り人が向きを変えて影が示す先が動くと、それに合わせて白鷺も位置取りを変える。心持ちまでのんびり晴れやかになる申し分のない天候だ。なのに思ったほどの人流はない。恐れているのだろうか。だとしたらそれはオミクロンにだろうか。それとも相次ぐ「テロ」に対してだろうか。

もうイヤホンはつけない

ひとりで移動する際、歩いているときも電車に乗っているときも、これまでならスマホから飛ばした音楽をBluetoothのイヤホンをつけて聴くことが多かった。そこまでして音楽を聴いていたいのかというとそういうわけでもなく、どちらかというと「不意な『雑音』を耳に入れずに済むように」という側面が強かった。人間ができておらずいちいち目くじらを立ててしまうからだ。しかし今、つれあいに「イヤホンはよしなさい」と止められている。「耳を塞いでいると不測の事態に気づかないでしょ?」つれあいはそう言う。「東大医学部に入りたいんだけど、このところ勉強がうまく進まず自信をなくした」という名古屋の高校2年生が、昨日「東大切り付けテロ」を引き起こした。重傷を負った高齢の方の他、被害に遭った受験生二人は運悪くそこに居合わせたわけではない。受験するためそこに居なくてはいけなかった。加害者からすれば誰でもよかったのかもしれないが、たまたま攻撃対象として選ばれた二人からすればあまりにも不条理である。恐ろしい世に成り果てたものだ。

大島小松川公園 風の広場でおにぎりを頬張る

小名木川横断ウォーキングの楽しみのひとつ、それはおにぎりだ。コンビニのものとは違う、大ぶりで具がたっぷり埋め込まれたお手製のおにぎり、それを折り返し点、つまり小名木川の行き着く先で美味しく頬張る。リモコンヨットに興じる同好の一団がマスクを外して大声で談笑している「旧中川・川の駅」あたりは避け、中川大橋を渡って大島小松川公園 風の広場に足を向ける。こちらは人が少ない。今日の具は好物である焼きたらこだった。昨年の夏から頻発する「テロ」を思い起こし、指折り数えてみる。

2021年8月6日 東京都世田谷の小田急線車内で、男に男女10人が切り付けられるなどして重軽傷。男はサラダ油を床にまいてライターで着火しようと試みたが失敗。

10月31日 東京都調布市の京王線車内で、ジョーカーに扮した男に切られるなどして男女18人が重軽傷。さらに男は車内にオイルをまき着火。

11月8日 熊本県内の九州新幹線で、乗客の男が放火を試みるも失敗。「京王線のニュースを見てまねしようと思った」と供述。

12月17日 大阪・北新地のビル内の心療内科クリニックで男が放火。容疑者を含む26人が死亡。

そして、昨日2022年1月15日 東大切り付けテロがこれに続く。すべて東京オリンピック以後、たった5ヶ月ちょっとの間に5度にも上る。

太陽光パネルが設置されている屋根はさすがに暖かそうで

おにぎりを食べ終え、平成橋を渡って小名木川に復帰する。途中によってたかって鳩が日向ぼっこしているお宅があった。朝日ソーラーの太陽光パネルが設置されているだけあって、南に面した屋根は相当に暖かいのだろう。このお宅からすれば大変な迷惑なのであろうが、鳩だけに穏やかで平和な光景ではある。それに比して穏やかでない報道が続く。「身勝手な犯行」と断じてみたり、未だ一致した見解が得られていない「拡大自殺」という言葉がニュースで踊ったり。どちらにしたって、精神的に追い詰められた者が自暴自棄になって「テロ」に至る、ということに変わりはない。かつてにこれほどに「テロ」が頻発することなどなかったことを考えると、今日、社会が「精神的に追い詰める」ものに変容したことは間違いない。犯行に及んだ「個人」に責を負わせるだけでは「テロ」の連鎖は止まらないだろう。

「空気を読む」という言葉が微妙に嫌い

田中一村(1908−1977)という画家がいる。50歳で奄美大島に移住し、彼の地の自然を縦横に描いた孤高の天才で、中学高校の大先輩であることをどこか誇らしく思っている。本人が望んだわけではなかろうが、「孤高」というのがなんともカッコいい。昨日もウォーキングをしたのだが、帰宅した私を部屋で待っていたのは、まるで一村が壁に描いたような「夕景色」、ささやかだけれどなんとも美しい。大五郎のように黙って信頼して待つ今日の白鷺も同様だ。どこかしらささくれだった心持ちにいくらか情緒が戻る。

「空気を読む」という言葉が微妙に嫌いだ。ダウンタウン松本人志が「空気を読めよ!」と番組の中で後輩によく言っていたものだ。以来、申し訳ないけれども松本人志が大嫌いで、今ではテレビに映ろうものなら慌ててチャンネルを変える。「顔色をうかがう」ことを求められたあげくに、「効率」と「自己責任」ばかりを押しつけられ、そうした積年の来し方が滲み出し、思想信条に基づかない自暴自棄な「テロ」が常に横行する世に成り果てた。このままではおちおちウォーキングにも出かけられなくなる。もはや臨界点を超えたのか。しかし白鷺は知るよしもない。ああ、もうすぐ隠居の身。人を動かすのは「効率」ではなく、実は情緒なのだ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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