隠居たるもの、教えて初めて心づく。2023年4月2日日曜日、もっとも遅くまで運行を残していた五竜&47スキー場のシャトルバスもこの日が最後、私たち夫婦はめでたく22−23シーズンを終えた。スキー場に立ったのはトータルにして私が36日でつれあいが30日、飽きもしなければ懲りもせず、よくもまあスノーボードで滑ったものだ。そして、この記念すべきシーズン最終滑降には同伴者があった。私たちよりふた回りほど年少、つれあいのクライアントだ。「スノーボードをやってみたいんですけど、よければ教えてくれませんか?」何の気なしに寄せられた打診に、初老にさしかかった夫婦は積極的に「接待スノーボード」誘致を開始、多忙な彼女の都合がようやくにしてシーズン最後に整ったのだった。
スノーボードレンタル散種荘
だけれども、とんでもない一打を「ナイスショット!」とおべんちゃらする接待ゴルフなどと同じく扱ってもらっては困る。一緒にスノーボードを滑る友だちが増えることが喜ばしく、たまたまそれがクライアントだったもんだから、それを面白がって「接待スノーボード」と呼んでいるだけだ。爽やかに晴れて「さあ、スキー場に出かけるぞ!」という朝、さしあたりこちとら「スノーボードレンタル散種荘」、彼女が乗るべきスノーボードにビンディングをセッティングしていた。当人が白馬に到着した前日に体格やサイズを確認、ウェアはつれあいのものを着てもらうとして、ボードもまたつれあいのお古を、そしてビンディングとブーツは私のお古を、物置から引っ張り出してきてそれぞれ使ってもらうことにした。彼女は私の作業風景を「カッコいい!」とやたらと称賛し写真にまで収める。このところすっかり「山のおじさん」化した私である。外に出るときは常に何かをかぶるものだから、頭髪は寝ぐせがついていようがまるっきり気にすることもない。この日だってあらぬところに分け目をつけて、すっかり潤いを失くした髪各々がそれぞれ好き勝手な方向に乱雑にはねていた。しかし、それでこそ「パンク」に見えるかと尋ねたら、悲しいかなどこから見てもやはりその姿は「初老にさしかかったおじさん」に違いない。だからなんとも面映い心持ちではあったものの、これから挑む彼女の「初めてのスノーボード」に際し、まんざらでもない私は、怯まず常と変わらぬ講釈をたれる。
Don’t think ! FEEL.
「スノーボードというのは、重心をかける、重心を抜く、行きたい方向に身体を向けて舵をとる、結局はそれだけの単純なものだ。その3つの強度やタイミングを、局面に応じて、それぞれ適切に組み替えているに過ぎない。当然のこと、理屈はあるのだが、身体が覚えない限り、それを完全に理解することもできない。慣れないことで怖いからへっぴり腰になるのは当たり前だが、悲しいかなボードの中心の真上に腰が立っていないと板は少しもいうことを聞いてくれない。自転車と同じで、いつかはたいがいは乗れるようになっても、最初はどうにもならずとってもつらい。しかしだね、少しずつできることを積み重ねていけば、怖くもなくなって、いつの間にか滑れるようになっている。すると見えてくるものがまるっきり違ってきて、楽しくて仕方なくなる。そんなもんだよ。」天候、積雪量、雪面の状況、シーズンを通してすべてが同じことなどいっときとしてないし、それどころか刻一刻に変化する。ブルース・リーが「燃えよドラゴン」の劇中で発した名台詞を思い出す。「Don’t think ! FEEL.(考えるな!感じろ)」だからスノーボードは面白い。
大型新人あらわる
「船頭多くして船山に登る」指図する人が多いとかえって意に反した方向に物事は進んでしまうから、つれあいのクライアントでもあることだし、指導は「雪がすっかりなくなってしまったけど、まずはなだらかなふもとで基本のキを教えているから、あんたは山の上を偵察してらっしゃい」というそのつれあいに任せて、ひとり私はとおみゲレンデからゴンドラに乗った。ひと通り五竜スキー場を偵察し、47スキー場のふもとまで一気に滑り降りる。頂上付近はまだたっぷりと雪が残っていて、中級者コースなぞは4月になってもスキー場にやって来る好事家たちに溢れている。とはいえ、3週間早かった雪解けの果てに、雪そのものがどうにもいかんともしがたく、「スキー場はまだ営業を続けはするだろうが、今日を限りに潔く今シーズンを終えよう」とあっさり心を決める。一方、この時期の初級者コースはそこまで混雑しているはずもないことを確かめ「可能ならば上がってここで練習するといい」と提案すべく、(雪がなくなって下山ルートがすでに閉鎖されているため)再びゴンドラに乗って五竜スキー場のふもとに降りていった。
それがどうだ、驚いた。ボードの上に立っているではないか。スノーボードを初めて半日もしないうちに「立てる」ことなどそうそうないのだ。聞いてみると、幼少のみぎりよりテニス等なにかしらスポーツはしていたという。「これならいけるぜ」と意を強くし、私たちは3人でゴンドラに乗る。スノーボード初心者の最大難関「リフトから降りる」件もなんとかクリア、当然のことフラフラしながらも「大型新人」は無難に横滑り(スキーではボーゲンにあたる)をしてみせ、とてつもないポテンシャルを披露する。当人も「楽しい」と口にしていたし、こいつは来シーズンに化けるかもしれない。
「また来シーズン、よろしく頼むよ」
「大型新人」が体力的にいっぱいいっぱいになったのを見計らって、私たちは山を下りた。五竜スキー場ふもとのエスカルプラザにある「チューンナップ500マイル」という店に、ひとシーズンをともにしたボードをメンテナンスしてもらうためそのまま預け、手ぶらで帰りのシャトルバスに乗る。下車する際に「ありがとう。また来シーズン、よろしく頼むよ」と運転手に声をかける。この日をもってシャトルバスの運行も終了だ。運転手はニッコリ「はい。来シーズンもよろしくお願いします」と春らしい顔で答える。散種荘への道すがら、カタクリが花を開き本格的な山の春を告げていた。
松本城は桜が満開
上は「おふたりそろってブログに載ることもなかなかないでしょ?」と「大型新人」が松本城で撮影してくれたもの。明けた4月3日月曜日、ともに白馬を後にし、ランチ休憩を兼ねて途中下車、桜満開の松本城を散歩した際の写真だ。来年の雪山計画を愉快そうに考える彼女が、私と接して思い出したか「お父さんは再来年に定年退職なんですけど、けっこう仕事人間なんで心配なんです」とつぶやいていたことを思い出す。定年退職が視野に入り、あらためて学生時代の友人関係を取り戻そうと声がかかることも多い。大変に結構なことだと思うが、「定年退職」に関してはフライングして一日の長がある私である。ここはひとつ言わせてもらいたい。例えば「私をスキーに連れてって」の昔と違って、平日のスキー場なんかガラガラなのだ。集まって酒を飲んでクダを巻いているだけじゃあ、そのうちつまらなくなるのも必定。時間だけはたっぷりできる。ああ、もうすぐ隠居の身。億劫がってばかりいちゃあ始まらないさ。