隠居たるもの、「そういえばいつのことからか」とふと気づく。2週間前の8月13日のこと、自転車で出かけた先から大急ぎで我が庵へと帰る最中であった。信号や歩行者が多い一般道がまどろっこしく、途中から木場公園に乗り入れる。上空はあっという間に黒い雲に覆われ、大粒の雨がこぼれ落ち始めていた。公園を南から北へ、仙台堀川と葛西橋通りを越える木場大橋にさしかかって正面に雲に隠れ始めた東京スカイツリーを眺めやる。その瞬間、稲妻がふた筋、スカイツリーの先端に落ちた。遅れて轟音があたりを震わす。今でこそ日常の風景として鎮座まします東京スカイツリーではあるが、ずうっと前からあそこに屹立していたわけではない。スカイツリーのお膝元からここ深川に転居してきたのは2002年5月のこと、そのころには建設地候補のお墨付きさえ与えられていなかった。

東京スカイツリーの着工は2008年7月14日

2009年12月19日撮影

新しい電波塔が、押上の東武鉄道の敷地に建設されることが決まったのは、そういえば2006年3月のことだった。2000年頃から東京23区の各地で誘致活動が行われていたものの、「どこもが決め手を欠いている」そんな報道がなされていたのを記憶する。東武鉄道が業平橋駅(現とうきょうスカイツリー駅)構内の一部と押上駅(京成押上線・都営浅草線・東武伊勢崎線・東京メトロ半蔵門線)との間にあった貨物駅跡地を提供し建設費の多くを負担することを表明するやいなや状況が一変したんだっけか…。誘致に手を上げていたのに「油揚げをさらわれた」いつも少し偉そうな台東区が、「浅草を伊勢崎線の終点にしてやってるのに」と居丈高に東武鉄道に抗議して、逆に「わかった、だったら手前の業平橋を終点にして浅草まで電車を通さない!」と怒られてシュンとなっちゃった、そんな噂が聞こえてきて「いい気味」と笑ったのを想い出す。それから2年4ヶ月を経て設計と名称も決まり、2008年7月14日「東京スカイツリー」の建設は始まった。それで東京タワー建設時を時代背景とした「ALWAYS 三丁目の夕日」のような活気が近隣にあったかというと、2ヶ月やそこらでいきなり「リーマンショック」だもの、そんなものはどこにもなかった。

定点観測をするがごとく

私が写真を管理しているアプリケーションソフトのその中に、東京スカイツリーが初めて登場するのは2009年12月19日のことだ。建設現場から3km離れた我が庵から目視できる高さに達したのがそのころなんだろう。それからは毎日毎日ニョキニョキと高くなるものだから、気がつくと(まだスマホでなかったし)面白がってカメラを持ち出しシャッターを切るようになる。それでは「ALWAYS 三丁目の夕日」のような活気が近隣に出始めたかというと、リーマンショックからも脱しつつあってそんな余裕も生まれていたかもしれない。しかし、周囲のそうした雰囲気をいささか微笑ましく思ったのも束の間、2010年9月の凄まじく暑い日の晩に母親が脳梗塞で倒れた。まあ、致し方ないさ…。年が明けて、建設が始まって2年半と少し、2011年3月になるころには東京スカイツリーは最頂点634メートルに達していた。

2010年4月3日隅田川沿で撮影
2011年2月27日、首都高速6号線から撮影

東京スカイツリーが完成したのは2012年2月29日

2011年3月11日、東日本大震災が襲う。その日その時、私はどういうわけか山形蔵王に向かう新幹線の車中にいた。(参照:「2011年3月11日午後2時46分、私は東北に向かう新幹線の車中にいた。」https://inkyo-soon.com/big-earthquake/)同日中には東京に帰還することができず、翌12日に命からがら東武線で業平橋駅に帰ってきて、東京スカイツリーを目にしたときのあの安堵感を今も忘れることができない。すでに「地元」を認識するためのランドマークになっていたのだろう。熊本城の再建に情熱を傾ける方々の心情を噛みしめる。

2011年3月12日撮影

それからはもう高くなることはなかったけれど、開業は1年後に迫っていた。それでは「ALWAYS 三丁目の夕日」のような活気が近隣にあったかというと、もちろん福島第一原発の放射能に脅かされる日々を能天気に過ごすことなんかできなかった。2011年11月、90歳になった母は大往生を遂げた。そうこうしているうちに東京スカイツリーは完成した。

2012年8月3日撮影

東京スカイツリーが開業したのは2012年5月22日

私は中学高校の6年間、東京タワーの傘の下で過ごした。通っていた中学高校が東京タワーのすぐ下にあったのだ。そしてこの12年間、日々に東京スカイツリーを眺めやって暮らしている。よっぽど電波塔に縁があるらしい。パリでISによる同時多発テロがあって、それを悼むためにスカイツリーがトリコロールにライトアップされたのを感慨をもって眺めたのは2015年11月14日のことだった。いろいろなことがあったけれど、これからだっていろいろなことがあるさ。だからこそこうして時折に想い出す。自転車を急がせていた8月13日、惜しくもあと少しというところで夕立に追いつかれ、私は少しだけ濡れた。ああ、もうすぐ隠居の身。まだ展望台に登ったことはない。

2019年12月24日、桜橋から撮影
投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です