隠居たるもの、内緒の悪事を自供する。2022年2月20日、折りしも雪が降り続く日曜日のこと、大学入学とほぼ同時期からつきあう古くからの友人が初めて白馬 散種荘を訪れた。かれこれ39年のつきあいになろうか。仕事がたてこんでいるつれあいを東京に残し、還暦が視野に入る男ふたりは久方ぶりに寝食を共にした。「この期に及んで一緒に滑ってみようじゃあねえか」という趣向である。30歳になるまで私はウィンタースポーツを一切したことがない。だがしかし、大学4年生になってようやく単位取得した体育の科目は不思議なことに「合宿スキー」。今回はそのカラクリについて告白する。そう、私たちふたりが「替え玉受講」の共犯者なのである。

「君、私になりすまして行ってみるかね?」

1986年、もう少しで22歳になる春のことだ。「仮にだよ、私が『合宿スキー』を選択できたら、君、安いし私になりすまして行ってみるかね?」私はスキー好きだった友人に打診した。1週間ほどの冬合宿に参加すれば、1年通して1週間に1度90分の授業に出席したのと同様に単位が取得できる「合宿スキー」、人気が高く選択に際して必ずや抽選になる。ノリのいい友人は「おう、お前のためにも卒業旅行の一環として行かせてもらうよ!」と即答した。私はそれを受けて抽選に挑み、見事に「選択」を勝ち取った。

今日のカリキュラムがどうなっているか知らないが、大学における体育は当時、1年間に1科目1単位、卒業には合計2単位が必要とされる一般教養課目で、当然に1・2年生時に取得すべきと推奨された。しかし生意気盛りだったこちとら、運動が苦手でもないのに「文学部に入ってまで何故に体育をやらされるのか」などとうそぶきどうにも身が入らない。2年生になって早々に留年も決まってしまうものだから自暴自棄が拍車をかける。悲しいかな若気のいたり、忙しなく過ごしていた1年から3年までに取得した体育の単位は皆無、どうにか5年で卒業したくばその後の2年間はどうやっても体育を落とせない。困り果てていたところで見つけたのが「合宿スキー」、見事に「選択」を得た私は、予定通り卒業を祝して友人に「プレゼント」したのだった。

「良」は間違いないな

デジタルの「デ」の字もない、黒くて硬い厚紙に挟まれた出席簿のみで出欠を管理していたころの話だ。スキーの先生に文学部4年生の顔など判別のしようもない。私が受けているゼミの内容や学籍番号「C302XX-3」を頭に叩き込んだ友人は、意気揚々と合宿に赴く。肝の据わった彼を心配することはなかったが、帰京した直後に「首尾よくやってきたぜ。合宿前の狭山スキー場のオリエンテーションに出席してないから『優』はくれないだろうが『良』は間違いない。最後のコンパの校歌斉唱なんかお手のものさ」と連絡を受けて正直ホッとする。私たちの宴会にゲストとしてよく顔を出していた彼は、我が母校の校歌も聴き知っていた。そう私たち共犯者は、学部はおろか大胆にも同じ大学ですらなかった。

今から思えばあまりにも罰当たりな

大学5年生時に選択したのは「サッカー」、それにももちろん打算があった。授業の講師は当時の日本代表チームの現役選手であった加藤久先生、代表の遠征やら合宿に出向き休講になることが多い。もともとサッカーをやっていたのだし授業頻度が少ないことに期待を寄せた。案の定、日本代表はソウル五輪の最終予選にも進んで(最終的にここで敗退、当時の日本サッカーはまだまだ弱かった)休講が多くなり「しめしめ」とほくそ笑む。しかし授業数があまりにも少なくなったもんで課題が出された。サッカー早慶戦の観戦に出向き、戦況について思うところをレポートにまとめて提出しろというのだ。もちろんテレビ放送なんかない。

前方は演劇博物館で、右手が昔日の4号館

恥ずかしいかな若気のいたり、今となってはその日に外せない用事があったのかどうかすら思い出せない。おそらくあったんだろうけれども、とにかく私は観戦に行かなかった。後日、体育会サッカー部に在籍する一年生の後輩を溜まり場にしていた4号館奥の一室に呼び出し、試合について教えてもらいその場でレポートを仕上げた。そしてギリギリ単位を取得した。その優しい後輩は後にJリーガーとなり、長らくJ2に低迷していた名門チームを就任1年目であっという間にJ1に昇格させるなど、今やJリーグ屈指の名監督となっている。今から思えばあまりにも罰当たりで畏れ多い。彼を呼びつけた4号館も、今現在リノベーションが施され、村上春樹から寄贈・寄託された資料やレコードを収蔵する国際文学館(村上春樹ライブラリー)へと姿を変えた。

「日頃の行いを改めろよ」

白馬は今日も雪だった。一昨日20日から友人が帰って行った今日22日まで、ここ白馬では深々と雪が降る。昨日の21日だけ、八方尾根スキー場にふたりで出向いてみた。ウィンタースポーツをまるでやらない私になり代わって「合宿スキー」に出向いた彼と、35年を経るうちにスノーボーダーとなった私が初めて一緒に滑る。乙な趣向だ。しかしホワイトアウト寸前のあまりにあまりな雪、早々に切り上げ結局は酒ばかり飲んでいた。それもそれで乙な趣向である。共犯者ふたりは「替え玉受講」を思い出してまた笑う。話は尽きない。そして帰り際、私は彼に言った。

「この冬、つれあいと夫婦でこっちに来ると大概は晴れなんだよ。日頃の行いが影響しているんだろう、なんてね。しかし今回のこれでよくわかった。たぶん行いがいいのはつれあいなんだ。それにひきかえ君の日頃の行いが悪いからこんなに雪が降る。私の行いはあくまでも添え物のようなもので、天候を左右するほどには可もなく不可もない。だから今度こっちに来る時までには日頃の行いを改めておけよ」それに対して彼は破顔一笑「わかったよ!次までには改めておくよ!」と手を振り雪の中を去っていった。もし私たちの不正を大学当局が今更ながら知るところとなったらどうなるんだろうか。さかのぼって「卒業取り消し」とか?しかし今となってはどっちにしたって構わない。ああ、もうすぐ隠居の身。なぜなら「共犯者」であったことの方が大切だからだ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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