隠居たるもの、訃報に接し悲嘆に暮れる。2022年2月25日金曜日、つれあいが白馬入りしてから3日経ち、あにはからんや、風ひとつない静かな晴天が訪れた。権力欲をこじらせ正気を失ったロシアの大統領が、隣の国ウクライナを侵略している。そんな狂気の沙汰が同じ世界のどこかで繰り広げられていることが信じがたいほどに綺麗な晴天だ。私たちは朝から五竜スキー場に遊びに行く。夜には話題の映画「ドライブ・マイ・カー」を観ることにしている。いい1日になりそうだった。そして夕方4時くらいだったろうか、5年ほど後輩から午前11時14分に届けられたメールを見つける。そこには、10歳年下の後輩が「今朝、亡くなりました」と記されていた。

「Just a perfect day 」

午前中いっぱいスノーボードを楽しみ、散種荘に帰宅して簡単な昼食をとり、「白馬村役場表敬訪問」などと称して不動産を持つが故に発生する税金を支払いに初めて村役場を訪ね、用事を済ませてから平日の午後で空いている日帰り温泉 みみずくの湯にゆっくりつかり、夕食の前に済ませておこうと洗濯機を回す。脱水まで終わるのは39分後、その間にウクライナ関連のニュースを調べ、ついでにメールもチェックする。ろくすっぽ目を通すことなく削除するDMの中に、後輩からのそのメールはあった。「先輩は彼が昨年11月からガンと闘っていたことをご存知だったろうか。悲しいかな、今朝、亡くなった。葬儀についてはまだわからないが、取り急ぎお伝えする」と記されていた。洗濯物を干しながら「あいつが死んじゃったって…」とつれあいに伝えるとき、私はこみあげる嗚咽を不覚にも抑えることができなかった。

「いつかドライブがてら、先輩の白馬の家に遊びに行くことを楽しみにしていますよ」

彼は温厚でいいやつだった。だけど社会にはびこる不正義にいつも怒っていて、それらと闘うことを職業として選び、NPOやNGOで献身的に働いていた。自分のことは常に後回し、東京大学出身、私からして本当に誇らしい立派な後輩だった。昨年11月後半、やはり散種荘に滞在していたときのことだ。彼から電話があった。「もう少し先になったらFBとかで公にしようと考えているんですけど、その前に先輩には直接に話しておきたいと思いまして。実は僕ね、ガンになっちゃったんですよ。身体の調子が悪いという自覚はあったんですけど、忙しさにかまけて病院にかかるのをつい後回しにしたりしてて、そしたら結局ガンでした。転移もいくつか見つかって…。今、入院して化学療法に取り組んでいます。はは、こうなったら医者の言う通りにする以外、方法がありませんからね。」

「ええ、しばらくは病院ですが、新型コロナの影響でお見舞いに来ていただくこともできません。大丈夫です、つれあいや妹が良くしてくれてますから。状況が変わったらあらためて連絡しますよ。必ず克服します。そして白馬に行きます。先輩、僕の実家、富山のど田舎でしょ?松本まで特急あずさで行って、レンタカーで白馬を通って山を越えた方が、新幹線で富山に回るよりずっと早いし安いんです。よくそうしていたんです。いつかドライブがてら、先輩の白馬の家に遊びに行くことを楽しみにしていますよ。」

楽観はできないと思っていたが、彼の気丈さに期待も寄せていた。しかし彼は力尽きた。2月に入ってからは自宅に戻っていたそうだ。なぜ見舞いに行ってやらなかったんだろう、新型コロナなんか関係ない、馬鹿話のひとつでもしてやればよかった…。不安だったろう、寂しかったろう、無念だったろう、そんなことを思うととてもじゃないがやりきれない。

「ドライブ・マイ・カー」(ネタバレ心配ご無用)

つれあいは「今日はよしとく?」と気をつかってくれた。iTune moviesでレンタル配信しているのを見つけ楽しみにしていた話題作「ドライブ・マイ・カー」、テーマが「身近な人を不意に亡くした者が抱える痛み」だからだ。「いや、今日だからこそ観ようじゃないか」と予定どおりにプロジェクターで映写する。戦略上「原作は村上春樹の短編」と押し出してはいるが、(過去にそれを読んでいるからわかるが)それはあくまで主要なモチーフのひとつであって、ほぼほぼオリジナルストーリーと考えていい。「3時間という上映時間はどうなんだろう」と訝しみもしたが、この丁寧な「痛みと救済」の物語にはこれだけの時間が必要だ。なにより多様性が静かにジェントルに描かれているのが好ましい。その点において日本映画のエポックを作ったとも思う。表向き称揚しながらその実「多様性」がまったく重視されないこの国で、もっぱら「多様性」はエキセントリックもしくはスキャンダラスに描かれてきた。社会の不正義にいつも怒っていた後輩も、この作品にはうなずいたに違いない。

そして「ドライブ・マイ・カー」する

主人公たちが、抱え込んだ痛みを吐露しそのことによって救われる。その3時間の過程で私のショックもいくらか癒やされる。ドライバーを演じる三浦透子(彼女は朝ドラ「カム カム エブリバディ」で主人公ひなたの幼馴染 いっちゃんも演じている)が素晴らしい。文学部ドイツ語クラス同級で仲が良かった友人が、「友情出演」という風情でチョイ役で出てきたのが微笑ましい。今現在に音信があるわけではないが、そのうち久しぶりに顔を合わせることもあるだろう。今や彼は日本アカデミー賞受賞監督である。エンドロールに、この省察に何度か登場した1996年生まれの後輩がクレジットされていて驚いた。わざわざINKYOシネマズに観にくるほど映画好きな彼女、それが高じて映画関連の仕事で頑張っている。そう、残された者は「生きていく」のだ。「ドライブ・マイ・カー」、繊細な名作である。雪が溶けたら、特急あずさを松本で降りて、レンタカーで安曇野アートラインを走って白馬に寄って、そして北アルプスを越えて新緑の富山へドライブしようと思う。47歳で逝った誇らしい後輩を偲びながら。ああ、もうすぐ隠居の身。ドライブ・マイ・カーである。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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