隠居たるもの、折にふれては想い出す。そんな旅があるものだ。私にとってここ数年となると、ヴェネツィアに止めを刺す。時差に慣れずに起き出して、働く人とともに歩いた彼の地の早朝の空気感すら蘇る。
漆黒の夜に浮かび上がるサン・マルコ大聖堂
自宅を出て21時間、ようやくたどり着いたサン・マルコ広場。現地時間は午後10時。抑制されたライトアップに荘厳さがいや増す。未踏の地に立ち、未知の光景を前にして、感情は昂る。しかし、その高揚は言葉になることもなく、私はただニヤつくばかりだった。海を越えて海外に出るのは8年ぶりのことだった。
彼女はヴェネツィアと答えた
2010年の9月から2015年の1月までのおよそ5年半というもの、私とつれあいはそれぞれ90代で天寿をまっとうする我が両親を「看取って」いた。旅行好きにかけては人後に落ちないと自負する私たちであるが、この間の目的地は自ずと「連絡がつき何かあったらすぐに戻れるところ」となり、それを積み重ねた結果、ストレスも少ないけれど刺激も想像の範囲、そんな「適度な」旅にいつしか充足するようになる。 ヴェネツィアにたどり着くには、ささやかな「飛躍」が必要だった。私が通っていた大学には現在、日本語を母語とする学生に1年間の留学を必修とする学部がある。2016年の5月、仲良くしてくれる後輩で、その学部に通う現役学生に「どこに留学するの?」と世間話の延長で尋ねた。彼女は「ヴェネツィア」と答えた。
「ヴェニスに死す」
“それは旅へのいざないだった。それ以外のものではなかった。しかしそれが発作的に現われて、情熱に、いや錯覚にまで高められたのだ。”
“それとわかってみれば至極当然だったとはいうものの、その時はわれ知らず驚きつつ、自分が本来どこへ行くべきであったかを悟ったのである。一夜にして、比類なき幻想的な異国情緒に浸ろうと思うならば、一体どこへ行くべきだったか。それはいわずと知れているではないか。自分は実はあそこへ旅行しようと思っていたのだ。”(ともに新潮文庫の高橋義孝訳から引用)
トーマス・マンの小説「ヴェニスに死す」、主人公アッシェンバッハが、旅への憧憬をかきたてられたあげくヴェネツィアが脳裏に浮かび、いても立ってもいられない心情を語る場面である。そういうことなのだ。
いざ、虫のいい冒険へ(アッシェンバッハのごとく)
予期せず現われた「ヴェネツィア」という地名に、「発作的に」旅への「情熱」は呼び覚まされ、アート・ビエンナーレ開催年にあたることを口実にしながら、後戻りできない「錯覚」にまで発展する。イタリアに行かなければならない!ヴェネツィアが呼んでいる!私は「冒険」を渇望していたのだ!「冒険」といっても、実のところは30歳以上離れた後輩に頼りきることを前提にした、著しく虫のいい「冒険」であるのだが、そんなことに気づきはしない。ここまで頭に血が昇ってしまったらもう手は施せない。
2017年の風薫る5月、こうして私たちは「比類なき幻想的な異国情緒に」包まれにヴェネツィアまで飛んでしまったのである。芭蕉翁ですらここまで来たことはあるまい。もうすぐ隠居の身。いくつになっても「冒険」は「冒険」だ、いざ。
シリーズその他の4段:「続・比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ」https://inkyo-soon.com/venezia2/「続々・比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ」https://inkyo-soon.com/venezia3/「比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ Ⅳ」https://inkyo-soon.com/venezia4/「比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ 完結編」https://inkyo-soon.com/venezia5/