リアルト橋

隠居たるもの、意外な軽やかさを見せつける。期せずしてのタイミングであればなおのこと良い。取り囲むみなの気持ちも晴れやかになるだろう。この旅に臨むにあたり、つれあいには野望があった。

必ずやジェラートを食べる。しかもイタリア語で注文して。

たくさんある中からどれをチョイスするのか、カップに入れてもらうのかコーンにのせてもらうのか、コーンを選ぶとしたらプレーンなのかチョココーティングにするのか、イタリアでジェラートを注文するためには、自身の「選択」を細密に表明しなければならない。ヴェネツィアへの留学経験を持つもうひとりの後輩が、リアルト橋近くの人気店、狭い路地にある「SUSO」を教えてくれていた。その日の見物があらかた終わる夕方に立ち寄れるよう行程を立てた。

美術館巡りからダミアン・ハーストの個展

アカデミア美術館
ドゥカーレ宮殿

ヴェネツィア美術の宝庫 アカデミア美術館ドゥカーレ宮殿、現代アートではグッゲンハイム美術館。私たちが訪れたのは2017年、ヴェネツィア・ビエンナーレの開催年である。ビエンナーレ会場だけでなく町中各所で連動した企画も催されている。目玉は、英国人ダミアン・ハーストの個展「Treasures from the WRECK of the Unbelievable」。安藤忠雄がかつての「海の税関」を改装した美術館プンタ・デッラ・ドッガーナ、18世紀のバロック建築グラッシ宮、この離れた2会場を占拠した作品はタイトル通り「難破船アンビリーバブル号から引き揚げられた財宝」。度肝を抜かれた。

プンタ・デッラ・ドッガーナ

Treasures from the WRECK of the Unbelievable

それはあまりにも巨大で、驚くほどの物量で、そしてあからさまに「虚構」だった。風化しているように作られた「新品」で語られる「ニセ」物語そのものが「作品」で、そこからは“常識を疑え、「歴史」だって怪しいぜ”とほくそ笑む声が聞こえてくる。ヴェネツィアは、溢れかえる美術品と、杭の上に乗っているという町の成り立ちが渾然として、現実でありながら虚構に身を置いているような世界だ。過去の栄光を物語る歴史遺産と最先端の現代アート。賛否渦巻くスターアーティストの個展は、この町でしか成立しなかった。

SUSOの歓喜

1日付き合わされたつれあいは、疲れ切って糖分を必要としていた。ようやくたどり着いたSUSOは、観光客で溢れ返っている。みながみな、戸惑ったり指差したりしながら時間がかかる。順番が近くなって、店員が肩をすくめながらつれあいに語りかけた。「決まっているなら言ってみたら」と。つれあいは最後の力をふりしぼって、クリント・イーストウッドのようにニヤリと笑う。「ウン コーノ ピスタチオ ペルファボーレ(ピスタチオのジェラートをプレーンのコーンにのっけてちょうだい)」。意志的できっぱりとした発語に、店員は「このシニョーラはイタリア語で注文したわよ!」と喝采し、狭い店内が歓喜に包まれた。すぐ後ろに並んでいた関西からの若い父親が、「あんた、この子たちの分まで大丈夫やろなぁ!」と奥さんから小声で詰められていた。申し訳ないね、「一日の長」ってやつだ。ジェラートは青臭くて、とても爽やかだった。

ああ、もうすぐ隠居の身。肩で風きって、ウン コーノ ピスタチオ ペルファボーレ。

シリーズその他の4段:「比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ」https://inkyo-soon.com/venezia1/「続・比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ」https://inkyo-soon.com/venezia2/「続々・比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ」https://inkyo-soon.com/venezia3/「比類なき異国情緒 ヴェネツィアへ 完結編」https://inkyo-soon.com/venezia5/

SUSO


投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です