隠居たるもの、黄色のウェアを身にまとう。2022年3月8日、ようやく春めいたここ白馬である。とはいえ、2月からなし崩しに雪解けが始まった昨冬の同じ日に比べると、ゲレンデの下の下までしっかり雪がついている。それもそのはず、一昨日3月6日も大雪が降ったのだ。新型コロナ禍にあることは昨冬と変わらないものの、(長野県では)まん延防止重点措置も解除され、ウィンターシーズンが長く保たれる。白馬の人はいくらか胸を撫で下ろす。しかし一方で昨冬と決定的に異なって気がかりなこともある。核戦争の危機すら視野に入った侵略戦争が同じ世界で進行中なのだ。

戦・争・を・と・め・よ・う・!

3月5日、東京では春一番が吹いた。例年ならキャンディーズの「春一番」を無意識に鼻で唄うところだが、今年はどうにもそこまで無条件に明るい心持ちになれない。翌6日の日曜日、東京マラソンを尻目に深川を離れ、私たちは長野駅からバスでオリンピック道路を抜けて白馬に向かう。一部を残して道中の雪もあらかた姿を消していた。しかし、そんな春めいた光景は山に分け入るや一変。ざんざんと雪が降っている。びっくりして、読んでいた本から顔をあげて窓の外を見やる。すると前方右手の道路脇に4人の若者が立っているではないか。それぞれが両手に何やら掲げている。合わせて8枚、どうやらプラカードのようだ。彼らは道ゆく数少ない車に訴えかけていた。「戦・争・を・と・め・よ・う・!」と。

咄嗟のことで写真に収めることはできなかったが、考えてみるに、東京の渋谷で、日本の各地で、ウクライナに連帯する戦争反対デモが行われている時間帯だった。「渋谷でせめてもと募金した」「福岡の集会デモに参加した」と知らせてくれた友人もいる。そこに連なるべく、この雪深い山の中で、やむにやまれずこの若者4人は、プラカードをこしらえて道路脇に立ったのだ。そうだ、戦争をとめよう。「熱いねえ、いいもの見たぜ。こうとなりゃあ、いずれプーチンは敗れ去らあな」とおじさんは泣かんばかりに感動したのであった。そのときに私が読んでいたのは「なぜ戦争は伝わりやすく 平和は伝わりにくいのか」という本だった。

「なぜ戦争は伝わりやすく 平和は伝わりにくいのか」

2015年7月に本作を著した伊藤剛氏は、大学で講師もしているが学者ではない。広告代理店を経てデザイン・コンサルティング会社を立ち上げた人だ。広報・PRという観点から「戦争」と「平和」に迫っている。例えば、第一次世界大戦を経てアーサー・ポンソンビーが著書「戦時の嘘」で研究しまとめた、権力者の「戦争プロバガンダ10の法則」というものがあるそうだ。人々を戦争に向かわせるためには順番も以下の通りでないといけないという。

①われわれは戦争をしたくはない

②しかし敵側が一方的に戦争を望んだ

③敵の指導者は悪魔のような人間だ

④われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う

⑤われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる

⑥敵は卑劣な兵器や戦略を用いている

⑦われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大

⑧芸術家や知識人も正義の戦いを支持している

⑨われわれの大義は神聖なものである

⑩この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である

今どき芸術家や知識人は⑧のように支持してくれないが、プーチンのウクライナ侵略の論理構成がそれ以外そのままこれに則っていることに驚く。ブッシュ息子のイラク戦争もそうだったし、大日本帝国も言わずもがな。「戦争」のイメージは容易に浮かび「平和」のイメージは人それぞれで曖昧、だから戦争をしたがる権力者がメディアやPR会社もろとも展開するプロバガンダに容易にからめとられないよう、常から「ピース・コミュニケーション」を意識的に模索すべし、と著者は語る。学術書ではないし読みやすく目を開かされた。

今日も黄色いウェアを身にまとう

この「なぜ戦争は伝わりやすく 平和は伝わりにくいのか」という本を知ったのは、公文書を徹底的に読み込む優れた現代史学者 加藤陽子東大教授が推薦していたからだ。加藤先生は、理由も明かされず当時のガースー総理から日本学術会議会員への任命を拒否されたうちのお一方だ。丹念に公文書にあたる学者が彼らには疎ましかったに違いない。当時「任命拒否も当然」とうそぶいた連中ほど、ウクライナ支援の話はそっちのけ、ここぞとばかり「核共有」などとそろって喜び勇み鼻息が荒い。やれやれ「10の法則」の何番目にあたるのだろうか…。どうにも気が滅入る。こんな時はあの4人を思い起こすことにしよう。

それはそれで春、昨日も今日も霞がかかったように薄く雲がかかる。綺麗に晴れた青空の下だと、私の黄色のウェアはなおさら映える。青と黄色、ウクライナカラーになるからだ。まずはウクライナに平和を。ああ、もうすぐ隠居の身。戦争をとめよう。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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