隠居たるもの、ようやくにして「座右の銘」に行き当たる。すでにこの世を去っていた松田優作が、いきなり「自由でいたいんだよ」とキメるテレビCM、みなさん憶えておいでだろうか。放映されていたのはおよそ30年くらい前のこと、調べてみるとはたして1997年に流れていた「JACK」というキリンビバレッジの缶コーヒーのCMだった。そこで使われていた映像は1979年から1980年にかけて放送されたドラマ「探偵物語」。20年にも及ぼうかというかかる年月の幅を考えるとき、1989年に亡くなった松田優作にどれだけのカリスマ性が備わっていたか、そんなことに想いは巡る。2026年10月1日、サッカー部2年上の先輩であるナベさんが、東京の築地と汐留の間にあるライブハウス&レストランBLUE MOODで、なんと人生初のライブを敢行した。私はその場に臨み、はたと思い至ったのだ。そうか、私の座右の銘はこの「自由でいたいんだよ」なのか、と。

「役者をやってみたい」とナベさんは言った
あれはコロナ禍の名残りもしつこい4年前の10月のことだった。宴会をやっていいんだかいけないんだか社会の風潮が中途半端で未だ定まらない中、W杯にかこつけ4年に一度だけ開催する中高サッカー部のOB総会をどうしたものか、幹事連はすっかり頭を抱えていた。大人数を集めるのもはばかられるし、そもそも三密回避に躍起な人が参加することはなかろうし、だからといって中止としたら次回開催までのブランクが7年というのもさすがになんだし、とはいえまかりまちがってクラスターでも発生したらどうなることか…。そんなすったもんだの果て、東京タワーの足元に建つ複合商業施設フットタウンの屋上に「ジンギスカンのハイボールガーデン」なるものを見つけ、そこを貸し切りオープンエアで催す運びとなった。私はそこで「何年ぶり」とか思い出しようもないほど久方ぶりにナベさんと再会する。一次会を終えるや同年代数人で大門へと二次会に繰り出すのもお約束、その席で私はナベさんに相談を持ちかけられた。先輩が言うには「俺さ、もう仕事をやめて役者をやってみたいと思ってんだ、どう思う?」

そのときの先輩は還暦間近。「雇用延長」の決断を前にして「これでいいのか」なんだか釈然としない、そこでフライングしてすでに定年退職を果たし勝手気ままに見える58歳の後輩におうかがいを立てた、とまあこういうわけだ。まず「その仕事をしないと暮らせないんですか?」と確かめると「いや、実はなんとかなりはする。役者になるなら頼りにするところの見当もついてる」、間髪入れず「なら悩む必要なぞどこにあるんですか?答えはひとつでしょ」とツッコむと「そうだよな!ありがとう」とのご返答、あっという間に解決をみた。そうして先輩はサラリーマン生活にピリオドを打ち役者になった。とはいえ「ありゃ、無闇に背中を押しちゃったか?」などと案ずるに及ばない。おそらく先輩は「竹を真っ二つに割ったような回答をして踏ん切りをつけてくれるやつ」として私を選び、首尾よく背中を押させたのに違いない。するとなるとLINEを介して「次はこの舞台に立つのでよろしく」と頻繁に告知が届くようになるから驚いた。そのナベさんが今度はお芝居ではなく舞台に立って歌うというのである。

Tokyo Calling
47年前を想い起してみても、ナベさんは歌うのが好きでしかも上手で声の出る人だった。教室で催されたサッカー部の何かの会で、酒が入ってもいないのに学生服で桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」を熱唱したことを今でも憶えている。聞くところによると、役者になっても実のところ先輩の宿願は「シンガーとしてステージに立つこと」だったんだそうだ。渇望はいつか癒やされねばならぬ。バックを固めてくれるプロのミュージシャンを集め、さらに女性コーラスグループのサポートも得て、満を持して一夜限りのBLUE MOOD。「Tokyo Calling」というタイトルがこれまた単刀直入でナベさんらしい。その筋の人からすればどこから来たかは一目瞭然、THE CLASHという英国パンクバンドの代表作「London Calling」を転じたものである。となれば、白馬に本拠を移したとしてもおっとり刀、「駆けつけない」という選択肢は私にはない。

大学生のOBとしてともに参加した43年前の母校サッカー部夏合宿の夜、先輩と私は誰はばかることなく酒を飲みながら、一年半前となる1982年2月に展開され結果的にたったそれ一度きりとなった、THE CLASHのジャパンツアーについて話した。そのとき浪人中だった先輩は大学受験まっただなかで、泣く泣く観るのを諦めたんだそうだ。一方、高校2年で大ファンだった私はというと、初日の渋谷公会堂と最終日の中野サンプラザ、合わせて2回観る幸運に恵まれた。ほぼ半世紀になろうかという昔の話、今日と比較してチケット料金はたいしたものではなかったし、ましてやTHE CLASHは「たとえ我々のギャラを減らしても、我々のコアなファンであるキッズが買えないような値段には絶対するな」とプロモーターに釘を刺していた。つまりなけなしのお年玉を担保に高校生がなんとか2回行ける料金だったのである。先輩は本当に羨ましく悔しかったそうだ。そのナベさんが「Tokyo Calling」と題したライブで、THE CLASHやらThe Rolling Stonesなんぞを歌うという。「背中を押した」私が顔を出さないのは野暮の極みであろう。

「キリコのタクト〜YELL~」
宿願が叶ったナベさん、出だしの「London Calling」こそシリアスで緊張気味だったものの、身体が徐々に温まり、ラストのシド・ヴィシャス・バージョン「My Way」に至ってはとても気持ちよさそうに歌い上げた。サポートの女性コーラスグループも同様。とはいえ初ライブを必要以上にヨイショするのも、その反対に無駄に辛口となるのも、どちらにしたって私の趣味ではない。気持ちよさそうな姿を拝みつられてこちらも楽しい心持ちになったのだからそれで十分、サッカー部の連中とも顔を合わせてなんとも乙な夜だった。そうそう、ナベさんからはもう一つ案内されていたものがあったのだった。翌10月2日から封切りとなった「キリコのタクト〜YELL~」、先輩の初出演映画である。映画館のない白馬で観られるわけもなく、東京にいるこの日を逃すと観損ねそうだったから、これまたおっとり刀、さっそく初日に新宿ピカデリーに駆けつけた。

中盤にちょっとだけ顔を出しただけにしても、板挟みにいたたまれずオドオドする小者の教頭先生として鈴木京香が演じる伝説の音楽教師キリコの隣に座り、主人公の信念の強さを引き立てたナベさんの映画初出演は見事なものだった。エンドロールに刻まれているはずの先輩の名をこの目にしっかり焼き付けておこうと思っていたのだけれど、感動のラストににじんだ涙をハンケチでぬぐっている一瞬のすきに、すっと巻き上がってしまったようで確かめることはできなかった。どうやってもう一度エンドロールを睨もうか、うっかり者は思案中である。

自由でいたいんだよ
「探偵物語」において松田優作演じるところの工藤俊作は、仕事をせずにブラブラしていたくて「自由でいたいんだよ」とのたまったわけではない。「得体の知れない何かになんとなく隷従し、自分で考えることを放棄してその見返りとして安穏を手に入れるが、その実それは物哀しい惰性でしかない」そんな世間一般に抗い、徒党は組まず、得体の知れない何かに干渉されても自分の頭で考え自分のやり方を貫く、そんな所信表明を「自由」という言葉に寄せているのである。実のところ私だって勤勉な働き者であるし(あくまで個人的感想です)、そしてこの歳までがんばってきたんだもの、あそこまでハードボイルドではないにしろ可能な度合いでそれにあやかってもいいだろう。ナベさんだってそうだ。そして10月3日の晩にサッカー部の先輩たち15人ほどと宴席を持ったのだけれども、なんというか通底するものが同じくそこには流れていた。今も働いている先輩もおられれば(週に3日という方も含め)悠々自適の先輩もいらっしゃった。あちこちで「実は心臓にステントが…」といった類の話を耳にするものの、みなさん溌剌としていてなんとも気ままで素敵、とても楽しい時間を共有させていただいた。こうしてサッカー部の先輩たちとばかり遊んだ3日間の弾丸帰京ツアーを通し、我が「座右の銘」は判然としたのだった。なんともスッキリした心持ち。ああ、もうすぐ隠居の身。なにはともあれ「自由でいたいんだよ」。