隠居たるもの、かえって静かにかみしめる。昨日で正月三が日も終わった。今日から仕事始めという方も多いだろう。つれあいも仕事場に出向いている。“バカンス”という習慣がないこの国では、多くの方々にとって年末年始休暇こそが共通の節目だ。だからこそ、“それが明けたら月曜日”というのはまったくもって気の毒の極み。心身ともにやっとのことリラックスしたというのに、次の休みまでいきなりたっぷりフルに働かなくてはいけない。明日5日の火曜日が仕事始めという方々も戦々恐々とされているに違いない。それとも、「ようやく外に出て行ける」とホッとしておられるのだろうか?なにせこの年末年始、久方ぶりに「ステイホーム」と呼び掛けられてはいたのだ。

1月2日のささやかな新年会

「夫婦ふたりで何をするでもなくただゴロゴロしている」ということもなかなかないから、それはそれでゆっくりできたいい正月ではあった。とはいえ、それだけではやっぱりどこか物足りない。例年であれば元旦に新年会を共にするご近所さんの友人カップルに声をかけ、天気予報を確かめて1月2日に新年会をすることにした。待ち合わせたのは木場公園、横並びになったり半円形になったりしながら楽しく新年を寿ぐ。マスクを外すのは缶ビールを喉に流し込む時だけ、ひとり1本から2本、風もなく暖かい陽光を背中に受けて1時間ほど、周りには凧(今時はカイト?)を引っ張って走り回る子供たち、これはこれで、お正月って心持ちを味わえるいい新年会であった。

その日の夕刻、ニュースでは剣呑な顔をした東京・神奈川・千葉・埼玉4都県の知事が、一緒に並んだ西村康稔経済再生担当相を相手に、「政府に緊急事態宣言発出の要請」をしたことがさも重大なことのように報じられていた。そうだろうかね?私には、芸能人が膨らみ続ける風船を「ワーワー、キャーキャー」いいながら回しあい、破裂の瞬間に手にしているのは果たして誰?っていうかつてのお正月TVバラエティー特番の騒々しいゲームをしているように見えたけどね。だって、登場人物みんなが無為無策のままとっくのとうに「後手」に回ってるんじゃないかさ。

1月3日に隅田川に散歩に出る

「創価大の最終走者のあの子のメンタルが心配だな。駒澤の石川拓慎(たくま)くんが凄かったんだから仕方ないやな。うん、我が都の西北の大学も今日は地味に頑張った」最終走者による残り2キロでの大逆転、駒澤大学の優勝で終わった箱根駅伝の観戦を終えて、そんなことを語り合いながら、今年初の散歩に出かけた。隅田川を蔵前橋まで北上することにする。今日も風がなくていい日和だ。駅伝の沿道と違って人も少ない。程よく歩いて帰りがけ、午後3時くらいに芭蕉記念館の前で、めっぽうご近所さんの昔昔亭桃之助師匠にバッタリ出くわした。師匠がこの日ここで開催された新春恒例の落語会に出演していたのは知っていた。久しぶりに会う、いくらか年下の、生まれも育ちも江東区の桃之助師匠と以下のような新年の挨拶を交わす。

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箱根駅伝を見ると「犬神家の一族」を思い出す(ネタバレ注意)

「あけましておめでとう。しばらく会わないうちに格が上がった?お召し物が乙になってるじゃないの。そうか、14時の回の高座を終えたところか。いやあ、駆けつけようと思ってたんだよ。だけどもね、「世間体を肝に銘じた隔たり(ソーシャルディスタンス)」に留め置くんで客は30人限定、整理券を開演1時間前から配布ってぇじゃないの。昼過ぎにそいつをもらいに来ようかなあ、なんて頭には浮かんだんだ。そん時だよ、駒澤の石川くんがすんごい勢いで増上寺の門前を駆けてくるんだもの。そう、箱根駅伝復路の最後も最後の話さ。あれは御成門の角あたりだったかな?とうとうずうっと一番で走ってた創価大の小野寺くんの後ろ姿が、石川くんには見えてきたんじゃねえかな。「犬神家の一族」って映画を知ってるだろ?松嶋菜々子でリメイクされた方じゃなくて、ヒロインが島田陽子で高峰三枝子が出てた1976年に公開された方だ。あの映画はオイラが12歳の時だった。

戦争で大火傷を負ったからと仮面をつけていた佐清(すけきよ)が、実のところは佐清じゃなくて、それはすり替わった復讐に燃える青沼静馬で、暗がりで佐清の母親である高峰三枝子に「俺は、あんたたちが虐めて追い出した青沼菊乃の子、そう青沼静馬(あ・お・ぬ・ま・し・ず・ま)だよぉ」としわがれ声で詰め寄るあの場面が、オイラはどういうわけか好きでねぇ。そこに加えて、どういうわけか箱根駅伝には「○馬」という名前の選手がよく出場するんだ。親御さんからして陸上をやってて、生まれた子供の名前に「馬」って字を使いたくなるんだろうな。ほら、東京オリンピックのマラソン代表になった服部勇馬もそうさ、出は東洋大で箱根駅伝を走ってたじゃねえか。1年下の弟も同じく東洋だった。弾馬(はずま)って名前だったから、「え?しずま?」ってビクッとしたもんだ。駒澤の石川くんも「馬」って字こそあてがわれてないけど、石川拓慎(いしかわ たくま)っていうんだよ。オイラはね、箱根駅伝・緊迫した場面・「ま」が名前の最後につく選手、この三つが揃うと「俺は、い・し・か・わ・た・く・ま、だよぉ」と青沼静馬の声色を真似ながら、つい必死な顔でおどけちゃうんだな。緊張から解き放たれたくなるのかねえ。つれあいはいつもそれを側で見ていてゲラゲラ笑ってる。驚いたねえ、あの大逆転劇は。車で後ろにくっついて「お前は男だー!」とか駒澤の監督が素っ頓狂に大きな声を張り上げるんだけどもさ、その様子が右翼の街宣車みたいでまたツボに入っちゃってさ。だけどもだよ、石川くんが区間賞でもって駆けたからああなったわけで、区間3位だったとしたら、創価大の小野寺くんがそのまま一等でゴールしたってえじゃねえか。というわけで13時少し前から13時半くらいの間はテレビにかじりついちゃって、そいでもって芭蕉記念館には来れなかったというわけだ…。まあ、今年もよろしく。」

青鷺の憩いの場、江東区芭蕉記念館

ささやかなりともお正月はお正月

嘘です。すれ違いざまだもの、布製の小さいマスクをしていたあの人じゃあるまいし、とっさにこんな長ったらしく言い訳がましい挨拶なぞしない。最初と最後、つまり「あけましておめでとう。今年もよろしく」その間にあと少し、そんなところです。でも、お召し物が乙になっていたのは事実だし、「師匠に久しぶりに会えたりして」とはホントに思っていたんだ。近いうちに高座を拝見させていただこう。その他にも、前日に新年会で顔を合わせたばかりの友人カップルと小名木川遊歩道でまたしても出くわしたり、マンションで懇意にしている方々ともエントランスやらで顔を合わせて新年の挨拶を交わして少し世間話したり…。マスク越しとはいえ、ささやかなりともお正月はお正月というわけだ。ああ、もうすぐ隠居の身。だから私はここいらが好きなんだ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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